ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.20 「愛せない・・・」


独身女性の多くは、出産と同時に母性本能が芽生えて、子供を無条件に愛すると思っている。
彩子もそのうちの一人だった。

彩子は20代前半で結婚し、女児を産んだ。
分娩室で生まれたばかりのわが子を見た時、「ああ、自分は母親になったんだ・・・」
そう思うと、感無量だった。
そして、生まれたばかりなのに目を開けていて、その黒い瞳の愛くるしさに、ジンワリとした感動が湧き上がってきた。

出産した翌日、母乳をあげるために新生児室へ行った。
恐る恐る子供を抱きかかえ、看護婦に指導されながら、母乳をあげた。
生まれたばかりの子供の吸う力はまだ弱いはずのに、乳首に痛みが走った。

看護婦に「まだ慣れていないからよ。早く慣れてね」と言われたが、とても慣れたいとは思えなかった。
いや、痛みを感じたことで母乳をあげる気がなくなってしまったというのが本当のところなのかもしれない。

乳児には、ほぼ3時間おきに母乳をあげるのだが、回数を重ねるごとに痛みは増していった。
翌日には乳首に血が滲み、下着が触れるだけでもズキンときた。

   こんな思いをしてまでお乳をあげなければならないなんて・・・最悪・・・
   生まれた時は可愛いと思ったけど、今からこんなんじゃあ先が思いやられるわ。

退院したら、すぐに人工乳に切り替えようと思うのだけど、入院中はそんなわけにもいかない。
いろいろ考えていたら憂鬱になり、一瞬、子供を投げ出したい思いにかられた。

お見舞いに来てくれた友達にそれを話したら、「育てる中で少しずつ情が湧いてくるのよ。母親になったからといって、すぐに愛情が深くなるわけじゃないわ」 と言われ、正直なところ、ホッとした。

とりあえず、彩子は産んだばかりの子を可愛いと思おうと努力した。
そして、その女の子は「愛美」と名づけられた。

退院してからは、自分一人で育てなければならない。
夫からは、「仕事が忙しいから、育児はお前に任せる」、と言われたこともあり、自分なりに一生懸命だった。
ところが、愛美が夜泣きをすると、夫に「うるさい!」と怒鳴られたりする。
そんな時は気持ちのやり場がなく、泣き続ける愛美が恨めしく思えた。

愛美がハイハイを始めると目が離せなくなり、家事をするのも大変だった。
自分のやりたいこともできない。
パソコンに向かっていればまとわりついてくるので、じっくり座っていることさえできない。

歩き始めるようになると、更に大変になった。
買い物ひとつにしても、とても時間がかかる。
好きな本を読む時間もない。
ましてや、本屋でゆっくり本を探すなんてとんでもない。
出産前は毎週のように夫と外食していたのに、今は夢のまた夢。
彩子の中で、愛美がいるばかりに自分の時間がとれない、何もできない。
そう考えては、その思いを振り払う毎日になっていた。

   母親にとって子供というのは、自分の命より大切な存在だと思っていたのに、
   実際の自分は、愛美を可愛いと思うどころか、時として産まなければ良かった
   とさえ思っている。
   どうして世の中の母親は、自分の命に代えても、なんて思えるのだろう。
   自分は母親失格なのかもしれない・・・

愛美が2歳になる頃、次の子を妊娠した。

妊娠がわかったとたん、愛美の時とは全く違う感情が湧いてきた。
お腹の子が愛しくてたまらない。
早く会いたくてたまらない。
彩子はこうした自分の感情が不思議だった。

第二子は男の子で、「孝志」と名付けた。
分娩室で孝志の顔を見た時、愛美の時とは全く違う感動が湧き上がった。
母乳をあげる時も愛美の時と同じように血が滲んで痛かったが、そんな痛みなど全く気にならないし、逆に痛みの中に幸せさえ感じたのだ。
愛美の時はすぐに人工乳に切り替えたが、孝志は母乳で育てようと決めた。

退院して家に戻った彩子は、またしても自分で自分の感情に驚いた。
生まれたばかりの孝志は可愛くて仕方がないのに、愛美は、そこにいること自体うっとおしいと思えたのだ。
それどころか、まとわりついてくる愛美を叩きたくなる衝動さえ湧き上がった。

愛美は、孝志にお乳をあげている時に限ってまとわりついてくる。
友人から電話がかかってくると、必ずといっていいほどジュースを欲しがったり、トイレに連れて行ってとせがむ。
そのたびに、「愛美ちゃん、静かにして! お母さんは今電話してるの!」と言って隣の部屋に追いやっていた。
言葉も覚え、自分に向かって話しかけてくるのに返事をしてやるのでさえ、面倒に感じた。
それどころか、お茶をこぼしたりご飯をこぼしたりするとイライラして、「どうしてこぼすの!」と怒鳴り、近くのあるものを投げつけてやりたい感情さえ出てきた。

頭では、こうしたことは良くないと分かっている。
でも、自分の感情がコントロールできない。
虐待にだけはならないように、かろうじて手を出すことだけは押さえていた。
きっと自分の顔は、すごい形相をしているんだろうな。
彩子はそんな自分に罪悪感を感じ、日増しに葛藤が強くなっていった。

それでも、彩子はできるだけ二人とも同じように愛そうと努力した。
しかし、自分が愛美に感じていることは事実で、まるで、磁石のNとN、SとSが反発しあうような感覚なのだ。

彩子が子供たちにおやつを作ると、下の孝志は喜んで食べるのに、愛美はまずそうに食べる。
「おいしくないの?」と聞くと、
「おいしいよ」とは答えるものの、どう見ても無理して食べているようにしか見えない。
せっかく作ってあげたのに、という気持ちがどうしても拭い去れない。

買い物に行って、何が欲しいかと聞くと、孝志はすぐに「このお菓子」と言って手に取るのに、愛美は「どれでもいい」と投げやりに言う。
かと思えば、突然アニメの話をうれしそうに話したり、小学校でのことを話すのだが、愛美が楽しそうに話せば話すほど、イライラした。
そして、つい 「お母さん今忙しいから、お話は後でね」と言って撥ね付けてしまうことも度々あった。

しかし、孝志が話すことは何を聞いてもうれしかった。
もっと話して欲しいと思えるほど楽しかった。
そばに孝志がいるだけで嬉しかった。

時折、愛美が寂しそうな目で自分を見つめる時、彩子の心は痛んだ。
もしかしたら、自分が愛美を見る目は冷たいのかもしれない、愛美はそれを敏感に感じ取って・・・

数年たち、愛美は中学生になり、思春期を迎えた。
子供の成長としては当然のことかもしれないが、愛美は何かにつけて彩子に反発するようになった。
孝志は小学生だからなのか、まだ反発はしない。
だからということでもないだろうが、愛美は何を考えているかわからない子、という感覚が彩子の中で膨らんでいった。

そんなある日のことだった。
学校から、「愛美さんのことで相談があるので来て頂きたい」、という連絡があった。
行く道々、頭の中に浮かぶのは、愛美が何か悪いことをしているのではないか、そういえば最近は服装が乱れているけど、悪い仲間に入っているのではないか、
万引きをしていたり、まさか薬などはやってはいないと思うけど・・・
そんな悪い想像ばかりをしながら学校へ急いだ。

職員室へ入って行くと、すぐに応接室に通された。
しばらくして担任に付き添われ、愛美が入ってきた。
その後から校長が入って来た時には、彩子の不安は頂点に達した。

まず校長が口火を切った。

 「突然の連絡でさぞ驚かれたことでしょう。 実は・・・」

その言葉に続いて出てきた内容は、愛美が男子に暴力を振るったということだった。
話を聞けば、男の子にビンタしたということだったが、それでも叩いた力はかなり強かったようで、相手の子は口元が切れ、少しだけれど血を流したということだった。
病院へ行くほどでもなかったので、保健室で治療をして治まったと言われた。

担任は、
「男の子が女の子に怪我をさせることは稀にありますが、女の子が男の子を平手打ちにするというのはそうあることではありません。
愛美さんに原因を聞いたのですが、話してくれないんです。
相手の男の子は、自分は何もしていないのに、突然たたかれた、と言ったんです。
何が原因かわかりませんが、何もないのに叩くことはないと思うので、とりあえずお母さんに来ていただいたしだいです。」

担任が説明をしている間に、愛美が泣き出した。

彩子が抱きかかえるようにして頭をなでると、愛美が嗚咽の混じった声でポツリポツリと話し出した。

   私が悪いんじゃないわ。
   K男が・・・K男が・・・お母さんの悪口を言ったの
   私のことを悪く言うのだったら、売り言葉に買い言葉で終わるけど、
   お母さんの悪口なんて、わたし、絶対に許せない!!
   気がついた時は、手が出ていたの。
   ごめんなさい・・・

まさかの言葉に、彩子は動揺した。
自分は、愛美が悪いことをしたとばかリ思って学校に駆けつけた。
しかし、ケンカの原因が自分だったということ、それも、自分をかばってのことだったと知って驚いた。

今まで弟の孝志の方ばかりが可愛いくて、それでもそれを悟られないように振舞ってきたし、できるだけ分け隔てしないようにしてきたつもりだったけれど、愛美はそれにきっと気がついて反発しているんだと思っていた。
自分の子供なのにかわいく思えなくて、きっと言葉の端々に、態度の端々に愛美は感じ取ってきたはずなのに、そんな自分をかばって喧嘩をしたのだ。

   自分はこの子に酷い思いを抱いてきたのに、この子は私を愛してくれていた・・・

言いようのない罪悪感が彩子の心に広がり、同時に嬉しさもこみ上げるにつれ、涙がとめどなく溢れ出た。

担任が彩子を気遣いながらも、愛美に「K男は何て言ったんだ?」と聞いたが、愛美は「言いたくない」と言ってまた黙ってしまった。

校長が、

   わかりました。
   お互いに言い分はあるようですが、愛美さんの気持ちはよくわかりました。
   相手のご両親には私の方からうまく説明しておきます。

と言ってくれた。

彩子と愛美は揃って学校を出て、彩子は愛美を車に乗せて、海の見えるところへ走った。

二人は、いつになく良く話した。
いや、初めてかもしれない。
生まれた時のこと、小さい時のこと、弟のこと、お父さんのこと、学校のこと、友達のこと、いろいろ話した。

 「ねえ愛美、お母さんずっと前から思っていたんだけど、お母さんが作るおやつって
  美味しくなかった?」

 「ううん、美味しかったよ。
  私は食べるのが遅いから、イヤイヤ食べているように見えるって友達が言っていた。
  でも、お母さんは私たちに美味しいおやつをいつも作ってくれたもんね。
  小学校の時だったけど、お母さんが作ってくれたおやつを学校に持って行って、
  先生にあげたことがあったの。
  先生が、すごく美味しい、こんなに美味しいおやつを作ってもらえるなんて、
  愛美ちゃんは幸せだね、って先生が言ってくれたのがすごく嬉しかった。」

 「ねえ愛美、スーパーでお菓子を買う時、孝志はすぐに欲しいものを手に取っていたけど、
  愛美はいつも、何でもいいって言ってたよね。
  本当に何でも良かったの?」

 「だって、お母さんが作ってくれたおやつの方が美味しかったから。
  スーパーで買うお菓子はあまり好きじゃなかった。
  お母さんと一緒に買い物に行くことの方が楽しかったな。」

 「ねえ、愛美、時々お母さんをじっと見ていることがあったけど、何を思っていたのかな」

 「そんなことあったかなあ。へへへ、忘れちゃった。」

彩子はその言葉を聞いて、胸が痛くなった。
愛美はこんなにも私を慕ってくれていたのだ。
私の方が愛さなければいけないのに、私の方が愛されていたなんて・・・
私はなんという酷い母親だったのだろう・・・

数日して、「母の日」になり、孝志は、少ない小遣いの中から、ペーパーフラワーの赤いカーネーションをプレゼントしてくれた。
愛美は、花柄のハンカチにレースのフリルを編んでデコレートし、手紙をそのハンカチで包んで渡してくれた。

手紙には、短い言葉だったが次のように書かれていた。

   お母さん、大好きだよ。
   私はあまり良い子じゃないけど、いつも大事にしてくれてありがとう。
   そして、私のお母さんでいてくれてありがとう。

彩子は何も言う言葉がなかった。
そして、愛美の両肩にそっと手を置いて、静かに言った。

 「愛美、お母さんの方こそありがとう。 あなたに救われたわ・・・」

   もしかしたら、愛美は私が成長するために生まれて来てくれたのかもしれない。
   今まで感じてきた罪悪感を帳消しにするほど、これからこの子をしっかり愛していこう。
   この子が生まれた時に、このこのために命はかけられないと思ったけれど、今は違う。
   この子のためなら、自分の命だって差し出せる。
   こんなに幸せでいいのだろうか・・・
   神様、ありがとうございます・・・
   私・・・やっと母親になれました。

彩子は気持ちを込めてお祈りをした。
そして、二人の子供の手を握り、何ものにも換えることのできない幸せをかみしめていた。



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