ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.18 「小さな善意、大きな愛」


インドはマザーテレサが骨をうずめた場所だ。
そのインドへ秀夫は転勤になった。
一度は訪れてみたいと思いつつ、なかなか機会に恵まれなかったが、やっと転勤を機会に行くことが叶った。

秀夫の仕事はIT関連のソフト開発。
現在のインドの技術は急速に伸びている。
インドの会社と提携し、更に開発を進めるためのプロジェクトに秀夫が抜擢されたのだった。

今はどんどん発展しつつあるインドだが、格差社会は日本など比べ物にならないぐらい大きいらしい。
秀夫が関わっているインド人はみな裕福な家庭に育ち、学歴もある人たちばかりだ。
カースト制度が廃止になったとはいえ、それは法律上だけで、現実は貧しい人たちは貧しいままで一生を終えなければいけないらしい。

インドに着いた翌日、同僚のインド人がムンバイの街を案内してくれた。
会社はメインストリートにあり、アパートは会社から歩いてほんの数分のところにある。
日本人から見ると古びたマンションぐらいに見えるが、ここインドでは高級マンションだという。

インドのムンバイという街は、日本にいた時には想像すらできなかったぐらい不衛生な街だ。
道路は荷物を運ぶ人が溢れ、道路の隅には多くの人が座り込んでいる。
車も走っているが、見ていると歩行者すれすれに走っている。
おまけに牛は悠々と車の前を横切っている。
一言で言うなら、ぐちゃぐちゃな街だ。
そして、何しろ信じられないぐらい暑い!

日本がどれだけ住みやすいかは海外に出てみるとよくわかる、と言っていた上司の言葉が思い出された。
特に水を始め、食べ物には極力注意しないと、氷のかけら一つで下痢に苦しむことになることもあるという。
食事にしても、トイレにしても、何もかもが違いすぎる。
これからここで生活していけるのだろうか、という不安が出てきた。
当たり前のことだが、観光旅行とここで生活をするのとでは意味が違う。

同僚は秀夫の不安をすぐさま見抜き、

「昔から言うだろう。 住めば都さ。 すぐに慣れるよ」

と言ってくれた。
確かにそうだろう。
そして、こうも言った。

「日本人は特上のカモだから、ボッタクリに気をつけろ」 と。

特にタクシーと旅行会社は要注意だと教えてくれた。
自分は旅行に来たわけではないと言うと、旅行じゃなくても旅行会社に連れて行かれて、手間賃をとられるのだという。
何だか不可思議だが、そういう事情がまかり通っているらしい。

あれこれ考えながら歩いていると、一人の少女が服の裾を引っ張っているのに気がついた。
その子はまだ6歳ぐらいだろうか。
彼女はおずおずともう片方の手を出した。

同僚はその少女はストリートチルドレンだと教えてくれた。
親に捨てられたか、親に先立たれたかで、住む家もなく、同じような境遇の子供たちと一緒に暮らしているのだという。
体はやせこけ、目だけが異様に大きく見える。

秀夫は手を差し出してきたその子の手を見ながら、上着から財布を出そうとした時、同僚が「やめておけ」と言った。
日本人は同情心が厚いが、インドでその情を出したら、たちまち丸裸にされてしまうぞ、と言われた。
理解できないこともないが、目の前に痩せこけた女の子がいて、その子がいま自分に助けを求めているのだ。

同僚の忠告を無視して、日本円にして100円ほどを女の子の手に握らせてあげた。
本当はもっとあげたかったのだが、同僚に言われた手前、それだけしかあげられなかった。
せめて、少しでもお腹を膨らませてくれたらと思った。
少女はにっこり笑って、「ダンニャワード(ありがとう)」と言って、走り去った。

しかし、その直後のことだった。
建物の影から見ていたのだろう、さっきの少女と同じぐらいの歳と思われる子供たちが何人も現れ、秀夫の前に次から次へと手を差し出してきた。
すかさず同僚がポケットから小銭をつかんで取り出し、道に放り投げた。
子供たちが我先にとお金を取り合っているすきに、秀夫は同僚に手を引っ張りられるようにして足早にその場を離れた。

秀夫は、かつて写真で見たことのある光景と同じだと思った。
それは、終戦直後の日本で、アメリカ兵に群がる子供たちと似ていた。
秀夫の脳裏には、その光景といま自分が遭遇したこととが重なり、言葉にはできない苦しさを覚えた。

インドの貧困ぶりは、日本人には脅威に感じる。
マザーテレサがいたのはコルカタだが、ムンバイも大して違わないように見える。
道端はところどころ糞尿の痕があり、それにもかかわらずホームレスらしき人がアチコチで寝ている。
寝ている人に多くのハエがたかっている時があるが、もしかしたら、それはすでに息を引き取っている人なのかもしれない。
それを気に留めることもなく、多くの人が行き交っている。

1ヶ月ほど経ったある日、秀夫は車に乗って1人でムンバイの街に出かけてみた。
市場でいろいろ買い込んでいると、1人の少年がにこにこして「荷物を持ってあげる」と言って寄ってきた。
インドでは荷物を運ぶことでチップをもらい、生活している人がいることは知っていた。
しかし、秀夫は自分で運べる量なのと、あの少女のこともあったので、その少年に荷物を運んでもらうのを断ったが、あまりにもしつこく持ってあげると言うので、根負けして持ってもらうことにした。
すると、案の定、それを見ていた子供たちが何人か出てきて、我先に荷物を持ってあげるというのだ。
秀夫は一人で持てる分の荷物を子供たちに持ってもらい、すでに見えている数メートル先の車まで歩いて行った。
運び賃を払う段になると、更に子供の数が増えていた。
それを見て、なぜだか涙が止まらなくなった。
食べるのに困っている子供たちがこんなにもいる、そう思うとそれだけで胸がつぶれそうだった。

翌日、また同じ場所に行ってみた。
すると昨日の少年が、また荷物を持たせて欲しいと言って声をかけてきた。
今日は買い物はしないから、その代わりに市場を案内して欲しいと言うと、少年は気持ちよくあちこちを案内してくれた。
一緒に歩く中で生活事情を聞いてみると、仲間同士で楽しくやっているように聞こえた。

3時間ほどあちこち回って、少年に案内料金としてレストランでの1食分のお金を渡した。
すると少年はとても喜び、そのお金を無造作にポケットに突っ込むと、手を振りながら足早に去って行った。

ところが、その翌日の新聞に、昨日の少年の記事が載っているのに気がついた。
「仲間割れにより死亡」、とだけ書いてあった。
もしかしたら、自分が渡したお金が原因だったのだろうか。
いや、そうじゃないかもしれない。

自分は善意のつもりでしたことだったが、あれは自己満足だったんだ。
同情から出た善意は自分が満足するだけで、何かが起きても責任は取れないし、それどころか何の解決にもならないんだ。
とにかく、秀夫は人に施すことの難しさを感じ、自分の甘さに打ちのめされた。

いろいろあっても、仕事は進めていかなければいけない。
殺された少年のことは重く心に引っかかっていたが、それも忙しさにまぎれて、だんだんと思い出すことが少なくなっていった。

数ヶ月が過ぎ、銀行へ行く用事ができて、会社の外で車を待っている時だった。
秀夫は誰かに突き飛ばされて転んでしまった。

一瞬何が起きたかわからなかったが、50メートルぐらい離れたところで一人の少年が初老の男性と何やら言い争っているのが目に入った。
ふと気がつくと、手にしていた鞄がない。
見ると、言い争っている少年が持っている鞄が自分のとよく似ている。
もしかしたら・・・と思って駆け寄ってみると、やはり自分の鞄だ。

ひったくられたのだ!

男性は引ったくりの現場を見ていて、その少年を捕まえ、腕をつかんで逃げられないようにして鞄を返すように説得していたのだった。
ところが、秀夫が目の前に現れたとたん、少年はその男性を突き飛ばし、秀夫の鞄を持ったまま逃げて行ってしまった。
鞄の中には大した物は入っていないので、あわてることはなかったが、男性が怪我をしていないかが心配なので、病院へ行こうと誘った。
ところが男性は大丈夫だからと言って、立ち去ろうとした。
それならということで、治療費を手渡そうと思ってお金を出したが、男性はそういうつもりではないと言って受け取らない。

どうしたらいいのだろうか・・・

その気持ちを察したように、男性は「では、インドと私のために祈ってください。それだけで十分です」と言った。
その男性は色黒ではあるが、インド人ではなく、白人のように見えた。

秀夫は祈りなどしたことがなかったので、何を祈ったらいいのかをたずねると、
「インドがより良く発展するように、そして、私に神の仕事が与えられるように祈ってください」と
言った。

秀夫は祈ることを約束したが、このまま別れることがためらわれた。
それでお礼方々、男性の話を聞かせてもらうためにもう一度会ってほしいと頼んでみた。
男性は心よく承諾し、自分の名前はWだと自己紹介してくれた。
秀夫は、今まで色々な人と会ってきたが、日本人でさえこうした純粋な心を持った人に出会ったことがない。
だから、お礼だけを言って別れたくなかったのだ。

翌日、Wは秀夫を自宅に招いてくれた。
食事はとても質素であったが、この上なく美味しく感じられた。
話をしていて、Wが急激に発展しつつあるインドを危惧していることがわかった。
経済が発展していく裏で起きている貧困の事実は、秀夫が少なからず体験したことと一致した。

Wは自分の夢を語ってくれた。
その夢というのは、親に捨てられて住むところもなく、食べ物を求めて必死になって生きなければいけない子供たちを救いたいということだった。
しかし、自分には資金もなければ何もない。
それでも、5人ほどの子供を引き取り、何とか飢えることだけは免れていた。

Wの生活は秀夫に衝撃を与えた。
自分は日本人として何不自由なく生活し、頭脳だけを使い、汗を流すことなく給料をもらっている。
ここでの給料は日本の会社から支給されているが、インドではかなりの高給取りといえる。
自分はまだ独身だということもあり、ここインドではお金を使うところがない。
どんどん貯まるばかりだ。
もちろんいつかは結婚するだろうから、その時のことを考えたらお金はいくらあっても邪魔にはならない。
でも、そういうことじゃないんだ!

秀夫はしばらく仕事が手につかないほど考え込んだ。
何をどうしたら一番良いんだろう・・・
自分のために自分が稼いだお金を使うなんて当たり前だけど、それでいいのか・・・
割り切れない思いがくすぶっていた。

更に数ヶ月が過ぎ、同僚とレストランで食事をすませて外へ出ると、一人の少女がうずくまって泣いているのに気がついた。
わけを聞くと、父親とはぐれたのだと言う。
その少女の顔を見ると、どこかで見たことがある顔だ。
あ、あのWのところにいた子だ!
秀夫は、近くにWがいるに違いないと思って探したが、見つからなかったので、家まで送り届けることにした。

家に行くと、Wが心配して待っていた。
そして、少女を連れてきたのが秀夫だと知って驚いた。
Wは秀夫に心からのお礼を言い、その場でひざまずき、神に祈り始めた。
その光景に秀夫は言い知れぬ感動を覚え、涙があふれだした。
その時秀夫はわかった。
自分が求めていたものがここにあったと。

秀夫はまだ漠然とはしているが、Wに自分の夢を話した。
Wは身を乗り出してその話を聞いてくれた。
話しながら、秀夫は自分の夢とWの夢が重なった瞬間を感じた。

その後、秀夫は会社で仕事をしながら、一つのホームを建設することを決めた。
家のない子達を引き取り、学校に行かせ、新しいインドを作り上げていく人材を育成するホームを計画したのだった。

人材を育成するとは、学力だけでなく、人格も心も育てなければいけない。
秀夫は持っているお金全てを、ホームにつぎ込んだ。
金に操られて、金のために生き、死に金を使う人生にはしたくない。
生きたお金の使い方がしたかったのだ。
人を生かすことで、自分が生かされることのできる人生にしたかったのだ。
自分ひとりではできない。
でも、このWとならやっていける。
Wは自分の夢も叶うということで、喜んで承知してくれた。
その夜、秀夫は心から神に感謝する祈りを捧げた。

いま秀夫は会社で働きながら、空いている時間は子供たちと遊んだり、勉強を教えたり、寝食を共にしている。
全てが順調には行かないことはわかっている。
きっと苦難の連続だろう。
でも、自分の一生をかけてやっていくことが見つかったのだから、どんな苦難であってもきっと喜んで乗り越えていけるに違いない。
それでも乗り越えられないと感じるほどの苦難に出会ったら、マザーのいたコルカタに行って、そのエネルギーと息吹を取り入れよう。

最初は同情という小さな善意から始まったインドでの生活だったが、ホームの建設が現実になった今、本当の善意、本当の愛というものは、人を生かして初めて成り立つものだということを、多くの体験を通して神から教えられた思いがした。



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