ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.17 「目には目を、歯には歯を 後編」


東京に着くとすぐに、祥太は以前ボクシングジムで知り合った先輩に連絡を取った。
東京で唯一知っている人だ。

会っていきさつを話したら、原因がどうであれ、ボクシングをやっているやつが一般人に手を出してはいけないと言われた。
なぜなら、ボクサーのパンチは凶器と同じだからだ。
だけど、自分はジムの中では一番弱かったし、自分のパンチが凶器になるなどとは これっぽちも思ってなかった。
むしろ、こんなに弱い自分でも、弱い者苛めするをヤツをやっつけることができる。
半分はそんな侠客気取りだったのかもしれない。
とにかく、この先輩の言葉は心に染みた。

しばらくは、その先輩のアパートに住まわせてもらいながら、仕事を探した。
1ヶ月後、住み込みでできる土建業の機材運びのアルバイトを見つけることができた。

寮ではどの人も自分より年上ばかりなので、みんな親切にしてくれる。
特に寮のオバちゃんは、いつも明るく声をかけてくれるので嬉しい。
仕事はきついが、働いている間はR子の父親とのこと、学校でのことなど、忘れることができた。

ところが、ある日のこと。
仕事が終わって寮に帰ってくると、食堂で酒を飲んでくだを巻いているオッサンがいた。
外で飲んできて、飲み足りないからと言って、オバちゃんにお酒をせがんでいるところに出くわしてしまった。
軽く会釈だけして、オッサンから離れたところでご飯を食べようとしたら、

  おめえ、未だに挨拶もろくにできねえのか。
  これだから中卒のガキはダメだっつーだ。
  ガキなんてえのは、常識ってえものを全く知らねえんだからやってらんねえわ。

何が気に入らないのか、理屈にならない理屈をコネ、祥太の無愛想さが気に入らないとネチネチ言い始めた。
祥太は、グッと拳を握って、もしオッサンが手を出してきたら一発やってやろうと思っていたら、
オバちゃんが、

  ちょっとお、酒飲んでクダ巻くのは目障りなんだよ。
  そんなヒマがあったら、さっさと寝ちまいな!

そう言ってオッサンを追い払ってくれた。

この寮の中でオバちゃんに盾突くヤツは一人もいない。
オバちゃんが一言言ってくれなかったら、いけないと分かっていながら、またしても手が出ていたにちがいない。

翌朝、オッサンは自分の言ったことは棚に上げて、

  昨日のことはオバちゃんに免じて許してやらあ。
  今度から気イつけろ!

と高飛車に言ってきた。
何を! と思ったが、やはり相手は寮の先輩なので、我慢した。
それにしても、癪に障る。

その時、ふと電車の中で隣の人が読んでいた本のことを思い出した。
確か、「目には目を、歯には歯を、という言葉があるが、悪人には手向かうな。右の頬を打たれたら左の頬を出せ。」だったな。
いま自分が我慢をしたということは、悪人に手向かわなかった、ということになるのかな。
だけど、自分は悪くないのに我慢をするなんて、ムカムカする。
それなのに左の頬を出せだなんて、とんでもないことだ。

それから半年がたち、東京にも仕事にもずいぶん慣れた。
相変わらず弱々しい雰囲気はあるが、不思議なもので、回りが年上ばかりだと、何かにつけてかばってくれる。
同年代だと弱々しさは苛めの対象になるようだが、年上から見ると、かばいたくなるようだ。

更に時が経ち、祥太も27歳になった。
体格も出来上がり、もうすっかり大人になっている。
仕事で鍛えた体のおかげで、もう以前のように弱々しい祥太ではない。

時として絡まれることがあるが、そのたびに、あの言葉が思い出された。
いったい、あの本は何という名前だったんだろう。
もしかしたら、オバちゃんなら知っているかもしれないと思って聞いてみると、

  ああ、それは有名な言葉だ。
  聖書の言葉だと思うよ。
  聖書と言うのはキリスト教の本さ。

その聖書とやらは、本屋で売っているのかな。
教会に行かないと買えないのかな。

人間というのは、気になり始めたら、とことん気になるものらしい。
オバちゃんはその祥太の気持ちを見抜いたのか、一緒に教会に行ってみようと誘ってくれた。
オバちゃんが連れて行ってくれた教会は、バスで15分ぐらいのところにあった。

その教会の牧師さんに、率直に聞いてみることにした。
「目には目を、歯には歯を、という言葉があるが、悪人には手向かうな。右の頬を打たれたら左の頬を出せ。」 というのは、どういう意味ですか?

牧師さんはいろいろ説明してくれたが、独特の言葉を使うので、難しすぎて祥太には理解できない。

  「目には目を」とは旧約聖書の中の言葉で、イスラムのコーランや
  ハムラビ法典の中にもあって・・・
  それでイエス様がヨハネからバプテスマを受け・・・

旧約聖書? バプテスマ? ハムラビ? コーラン? ヨハネって誰?
そんな説明が延々と続き、祥太の知りたい内容はちっとも出てこない。
それで、もっと自分が分かるように、簡単に説明をしてほしいと頼んでみた。
牧師さんは、やり返す人は心が小さいとか、傲慢だとか、利己的だとか、愛がないだとか、神の御心に適ってないだとか、そんな言葉を並べ立てた。
どうやら 「やり返してはいけない」、ということらしい。

  じゃあ、どうしたらやり返さない人になれるんですか。

牧師さんは言った。

  神を信じて、神の子になるためにバプテスマを受けなさい。
  イエス様を受け入れなさい。

えっ? なんだそれは?
そんなことでやり返さない人になれるの?

別のことを聞いてみた。

  もし相手が、包丁を振り回して自分を刺したら、もう一度刺された方が心が広い
  ということになるんですか?
  もし誰かが牧師さんを殴ったら、左の頬を出しますか?

それに対して、牧師さんは困った顔をした。
それでも更に説明をしてくれたが、説明してくれればしてくれるほど、またしても分からなくなった。
それで、何度も何度も聞き返していたら、牧師さんが苛立ち、

  これだけ説明しているのに、まだ分からないのですか!
  これ以上は時間の無駄です。
  私は忙しいので、これで失礼します。

そう言って、さっさと教会を出て行ってしまった。
祥太はこの時、この牧師さんの態度は 「目には目を」 と同じじゃないかと思った。

帰り道、自分が思ったことをオバちゃんに言うと、

  あの牧師さんは、頭では分かっていても、まだ自分をコントロールできないの
  かもしれないねえ。
  牧師だからと言って、聖書の中身を全部実行できるわけじゃないのさ。
  人は“仕事”とか“見かけ”で判断してはいけないよ。
  祥太だって、見かけは自信がなさそうで弱そうだけど、本当は強いんだろ。

なぜオバちゃんがそんなことを知ってるんだろう。
オバちゃんは、「そんなの見てりゃあ分かるさ」、と言ってから、さっきの説明を始めた。

  やられるたびにやり返していたら、収拾がつかなくなって、問題はどんどん大きくなる
  じゃないか。
  やり返したら相手はもっと怒る。
  そうすれば、自分だって後には引けなくなっちまう。
  でも、叩きたかったらどうぞ、それで気が済むんだったらどうぞ殴ってください、って
  左の頬を差し出せば、その人は自分のしたことが恥ずかしくなって、問題はスーッと
  引いてしまうんだよ。
  自分が一歩引くことで、怒っていた相手の心が変わるってことさ。
  それが愛って言うものかもしれない。
  広い心を持った人でないと、一歩引くことなんてできないからね。
  キリスト教では他の解釈の仕方をするのかもしれないけど、オバちゃんはそう思うよ。

へえー、そうなんだ。
祥太には、おばちゃんの説明の方が良く分かった。
もし自分がR子の父親が殴りかかってきたときに殴り返していなかったら、自分は街を逃げ出さなくてもよかった。
しかし、祥太はまだ 「やられたらやり返す、やられる前にやる」、という考えも拭い切れない。
それで、オバちゃんに質問をしてみた。

  悪人を野ざらしにしておいてもいいの?
  相手が、包丁を振り回して自分を刺したら、もう一度刺された方が良いいうこと?

おばちゃんは言った。

  いいわけないさ。
  でも、それとこれとはちょっと違うと思うよ。
  やり返さないことと、野ざらしにすることは違うことだし、包丁を出してきたら命にかかわる
  ことだけど、少々叩くぐらいなら命に危険はないからねえ。
  まあ、祥太のパンチだって、プロのボクサーと比べたらそれほど危険じゃないさ。

祥太は、なるほどと思ったが、それでも、まだ100%納得できたわけではなかった。

ある日、給料が出たので、何か買おうと思ってデパートに行くことにした。
あれこれ見ていると、すぐ後ろで大きな声を出している人がいた。
振り返ってみると、年配の女の人が店員に、ズボンの裾直しの出来上がりが短すぎると文句を言っている。
その店員も謝ってはいるものの、「私はお客様が注文されたとおりにやっただけです!」と言ったものだから、その年配の人は余計に腹を立て、「それが客に言う言葉なの! 店長を呼びなさい!」 と言い始めた。

そこへ、別の店員が現れて、平謝りに謝り、

  仰ることはごもっともでございます。
  お客様のおかげで、当店の不手際な部分が見つかりましたことを、感謝いたします。
  お客様のお言葉で、社員教育を徹底しなければいけないことが分かりました。
  貴重なご意見を有り難うございました。

そうしたら、その年配の客の態度もしだいに穏やかになり、

  私も言いすぎたわ。
  ごめんなさいね。

と言い、丸く収まった。

祥太は、後で来た店員の態度と言葉にいたく感心した。

  まてよ。
  これって・・・あの言葉そのままではないか。
  そうか、こういうことだったんだ。
  簡単に言えば、「負けるが勝ち」 なんだ。
  僕はずっと、「目には目を」が正しいと思ってた。
  やられたらやり返すのが当然だと思ってた。
  でも、オバちゃんが言うとおり、そうじゃなかった。

寮に帰ってこのことを話すと、オバちゃんは言った。

  祥太が知りたがっていたから、目に見えない力が教えてくれたんだよ。
  体験できてよかったねえ。

祥太は、まさかデパートで納得できることに出会うとは思ってもみなかった。

  そうだ、これを機会に街に帰ってみようかな。
  街に帰ってR子のおじさんに謝ろう。
  もしかしたら罵倒されるかもしれない。
  追い返されるかもしれないが、左の頬を叩かれるために、とにかく行ってみよう。

電車にガタゴト揺られている時の気分は、来た時とは大違いだった。
あの時は街から逃げ出してきた。
でも、少しは成長した自分がここにいる。
そう思うと、車窓から見える景色がとても明るく感じた。

ところが、電車を下りて、R子の家に向かう段になると、足がとてつもなく重い。
玄関が見えた時は、心臓が飛び出しそうになっていた。
でも、せっかくここまで来たんだ。
こんどは逃げ帰るわけにはいかない。

ピンポーン!

チャイムを押すと、中からR子のお母さんが出てきた。
最初、祥太だと分からなかったみたいだが、名前を告げたら、慌ててお父さんを呼びに行った。
お父さんはすぐに出てきた。
覚悟はしていたものの、お父さんの顔を見ると、やはり怖さが先に立つ。
拳をぎゅっと握りしめ、何を言われても最後まで耐えようと決心していた。

  きょ、今日は・・・お詫びを言いに・・・来ました。

それだけ言うのが精一杯だった。
すると、お父さんは、

  やあ、よく来てくれたなあ。
  あの時は、俺の方が悪かった。
  近所の人の言うのを真に受けちまって、頭に血が上ってしまってなあ。
  あとでR子に、そんな付き合いじゃないってさんざん叱られたよ、はっはっは。
  君には辛い思いをさせてしまった。
  まあ、上がりたまえ。
  R子は一昨年結婚して、今は子供もいるんだ。

覚悟をしていた分、ちょっと気が抜けたが、正直嬉しかった。
思い切って来てみて良かった。
でなければ、まだ自分は心の負債を抱えたままだったから。

やっぱり、「負けるが勝ち」 なんだ。
「やられたらやり返す」というのは勝負の世界だけで、「目に見えない心の世界は逆」 なんだ。
祥太は今、心から納得できた。

R子とも電話で話すことができた。
相手はどんな人なんだろう、R子を一生守ってくれる人だといいな。

R子の両親と話をしてから、自分の家に行ってみた。
家では両親も兄貴も待っていた。
寮のオバちゃんが電話で知らせてくれたらしい。
祥太がいなくなってから、母親は毎日心配で泣き暮らしたという。
しかし、祥太が頑張って働いていることを、おばちゃんが何度か電話で知らせてくれたので、安心して祥太の帰りを待つことができたと言ってくれた。

あの頃の自分は、回りの人のことなど考える余裕がなかった。
いつも自分が被害者で、いつも苛められている自分をかばう気持ちしかなかった。
強くなりさえすれば、誰からも苛められないと思ってた。
しかし、今こうして家族を前にしていると、なんてちっぽけな自分だったのか、なんて親不孝だったのかと、反省の思いばかりが湧いてくる。

これまで親不孝した分、その倍以上しっかりと親孝行できるように、もう少し東京で頑張ってみようかな。
そして、途中で投げ出したままになっていた高校の勉強も、やり直してみたい。

思い切って帰ってきて良かった。
オレの人生、再出発かな。



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