ぼくのスピリチュアル物語 42 「老化と意識」


亡くなったご主人からの霊界通信を紐解きながら日々を生きる静さんもまた生身の人間。還暦を過ぎた女性が肉体の老化について身にしみて感じることはごく自然であり、そんな静さんの心配を汲み取り、励ますような通信もある。

(「黒住さんからの霊界通信、25通め(1985.7.8)」より)
《老いて尚、光を知覚し得る幸いである。霊をゆさぶるものは訓練であるから、今からでも遅くはない。あらゆる面において天上界に意識を合わせられるものは、やはりそれだけのパーセンテージにおいて、肉体の老化という現象とタイアップし、それなりに、それなりを超えたものが湧出して来るのである》(以上)

(静さんの「註」より)
「年老いても尚、人間が神の分霊であり、内に光をもっていることを知覚することが出来るということは何と幸せなことであろう。霊は試され揺さぶられて訓練されてゆくのだから、試しやゆさぶりに惑わされることなく、常に真実なるものを求め、天上界に意識を合わせられる者は、たとえ肉体そのものは老化しても、年ふる間に様々の経験から学び得た魂は、深みと奥行きを増し加え、肉体の老化という現象とタイアップして、それなりに薫(かお)りあるものが湧出してくるのである」(以上)

魂が成長していれば、年齢とともに深みと奥行きが滲み出るらしい。どんな出来事がおきようとも決して焦らず、どっしりと地に足がつき、本質を見抜きながらも多くを語らず、いつもニコニコと見守っている。そういった憧れのような像が浮かんだ。

(「黒住さんからの霊界通信、25通め(1985.7.8)」より)
《呟くに足らない。しっかりしていなければならない。意識は永遠に若いのだから。観念として言うのではなく、それは悟りである》(以上)

(静さんの「註」より)
「だから年老いることをぶつぶつ呟くことはない。意識そのものには年齢はなく、永遠に若くあり得る。霊は不滅の生命なのだ。それはただ、観念的にそういうものだと言っているのではなく、真理なのだ。と諭しているのだと思います」(以上)

意識には年齢はなく、永遠に若い…、確かに鏡の中の自分は気がつくと歳を重ねているが、自分の意識は昔から基本的には変わっていない気がする。

着ている肉体が自分だと思っている以上意識も年老いて袋小路へと向う。しかし、ずっと永遠に存続する自分の意識に焦点を合わせていれば、きっとその延長に悟りというものがあるのだろう。
永遠の自分に気づくこと、つまり、それが天上界に意識を合わせることになるのかもしれない、そんな気がした。

(つづく)



手紙」へもどる 海辺のぽちさんのエッセイ」へ 閉じる 計画」へすすむ

霊的故郷