ぼくのスピリチュアル物語 24 「気づき」


この世で暮らすぼくたちには、それぞれの「使命」があるという。それは与えられたものか、自分で決めたものか知り得ないが、その「役割り」を果たすために生まれてきたらしい。

しかし、黒住さんが言うにはぼくらの眼は「盲(めしい)たる眼(まなこ)」である。使命を果たさなければならないのに、その使命に対して目隠しをされているのである。どうやら、日々の生活の中でそれを発見し、それを実践するようにむかわせたいらしい。

(「黒住さんからの霊界通信、6通目(1985.3.16)」より)
≪魂は働きである。天上の燃える炎に意識をあわせよ。ミクロの波動の世界に於いて、最大限の働きかけとエネルギーをもって育ててゆくものである。
…(中略)…
あなた自身、その使命を果たさなければ、こちらに戻って来ることは出来ない役割りになっています。天上の炎の眼は常に注がれています。≫
(以上)

ぼくたちが「盲たる眼」であるのに対し、その状況があちらからはよく見えているのだろう。まるでマジックミラーのようである。この通信に対する静さんの「註」にも同じように感じている記述がある。

(静さんの「註」より)
「霊の世界は肉体の五感では感知できない世界ですが、霊人達は私達の心をすべて見通しの様です。この目に見えない波動のエネルギーを用いてこの世に最大限の働きかけをし、私達を見守り育てて下さっています」
(以上)

夏の海岸で見かけるスイカ割り。目隠しをした人がスイカを割ろうと頼りない足取りで近づいていく、その人に右だ左だと声をかける人がいる。この世とあの世は、そんな関係ではないかとふと思った。

この場合、目隠しされた人は「スイカを割る」という使命を知っているのだから、少し違う気もするが…(笑)

いずれにしろ、黒住さんからの霊界通信を読んでいると、どれも正解を教えないでヒントばかりを送りつけて「気づきなさい」と言っているように思えてならないのである。

もしかしたら、魂が成長するためには、自らの使命に気づくというプロセス自体に大きな意味があるのかもしれない。魂が成長するということは、それだけ高度なことに「気づく」ようになることなのだろうと思う。

たしかに、誰かに教えられるより、自分で気づく方がはるかに身に付くように思うし…。

(つづく)



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