ぼくのスピリチュアル物語 20 「ジレンマ」


黒住さんは1984年4月12日に他界された。
そして、『生命の泉』に記録された霊界通信は、その4ヵ月後の8月11日から始まっているのだが、実はその間に、そのプロローグともいうべき霊現象がYさんに起きている。まずはそのあたりからチューニング(同調)を合わせながら、助走をつけて霊界通信の世界に踏み込んでいきたいと思う。

葬儀や雑事で悲しみに浸る暇もないあわただしさが潮のように引いた4月の末、静さんのもとに一通の手紙が届いた。それは、Yさんからだった。

(Yさんからの手紙)
「なんと不思議なことがありますことでしょうか。…(中略)…お写真を拝見させて頂いておりますと、伝わって参りました。御主人様の御言葉が、そのまま流れてまいります。私にこんなことが起りますなんて…。そして御主人様の御住まいになっておられる御霊の圏内が、そのまま響いてまいります。何という安らかな世界でありますことか。
…(中略)…
今、ふっと歌をほかの紙に書きつけました。御主人様からの伝言ではないかと思います。間違いないと思います。波として受けていると思いますのですが…
『穏(おだ)しかる いのちの流れ あるときに
 君が手をとり 妻とこそ思え』
どうしてもこの歌としてのひびきがまいりますので御依頼かと存じます。御主人様の御気持ちかと存じます。
…中略…
御主人様が何だか笑っていらっしゃいますようでございます。」

この手紙を受け取ったときの気持ちを静さんは…

(『生命の泉』の「霊示現象のはじまり」より)
「本当に言葉につくせない程の驚きと感慨を覚えました。手紙を持つ手は震え、繰り返し、幾度びそれを読み返したことでしょう。
『穏しかる』という短歌の真意は、その時には十分にわかりませんでしたが、その後、翌年11月17日の通信によって、その歌の意味することが汲み取れるようになりました。ともあれ、この歌が、以後二年以上に及ぶ霊界からの通信のはじまりになるなど、そのときには夢にも思っていなかったのです」

『穏(おだ)しかる いのちの流れ あるときに 君が手をとり 妻とこそ思え』

静さんがわからないのと同じように、ぼくにもこの通信の意味がまったくわからない。と同時に、なぜもっとわかりやすい表現で伝えて来ないのだろうか、と思った。黒住さんという人を直接知らないが、人を笑わせるユーモアのセンスがあったと聞く。ついこの間まで生きていて、わかりやすい日常会話を交わしていたのだろうと思う。なのに、なぜ、霊界にいくと急に抽象的な表現の人になってしまうのだろうか。

素朴な疑問である。

受信者のYさんは、「ひびき」とか「波」という表現を使っている。こちらに伝えるとき、この言葉を選ぶのは、Yさんの知識やセンスが影響しているのだろうか。次元を超えてメッセージすることの難しさは計り知れないし、わからないでもないが、スッキリわかりたいのにわかりにくいというジレンマは否めない。

しかしである。その向こうに真実がある以上あきらめるわけにはいかない。想像力を駆使して、霊界通信の解読に挑戦していきたいと思う。その入り口として、静さんがこの短歌の意味を理解できたという、一年半後の1985年11月17日の通信に飛びたいと思う。

(つづく)



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