ぼくのスピリチュアル物語 03 「少女の疑問」


瞑想室のあるカレー屋で売っていた小冊子『ある少女への手紙』。
この本が生まれた経緯は…。

広島市内に住む黒住静(くろずみ・しず)さんという60代のご婦人が朝日新聞の読者欄に目を留めた。それは、疑問を抱く少女・十六歳からの投稿だった。

(1989年7月16日朝日新聞より引用)
『私はもう三年も前から悩んでいるのですが、人間は最後には死ぬのにどうしてみんな一生懸命生きるのですか。最後に何かごほうびをもらえるわけでもないのに、どうして私たちは努力したり恋したりして苦しみ悩むのでしょうか。結局死んでしまうのに…。友人や親に聞いてもみんな納得のいく答を出してくれません。今のままだと何を始めようにもむなしくて出来ません。何かいい返事をお願いします(疑問を抱く少女・十六歳)』

そして、朝日新聞の回答はこうだった。
『人間をはじめ生き物が死ぬのは、DNAの中に「生長ー衰退ー死」というプログラムが書き込まれているからです。それは、「種」を存続させるためには、種がたくさんの個体数に別れて生殖しては死ぬ、というパターンがいちばん合理的だからです…(以下、省略)』

静さんは、新聞社からの回答を読み、この説明では三年も前から死のことを考えて悩み、その意味が掴めず、何をするのも空しくて元気が出ないという少女の疑問に答えてないと思った。そして、この悩む少女に手紙を書こうと思い立った。

静さんは、その手紙の冒頭でこう書いている。

(『ある少女への手紙』より)
『「死は人間にとって誰しも避けられない確定的なことです。もしも死がすべての終わりであるならば、あなた様のような考え方もうなづけるかも知れません。でも本当は死んだ後も生き続けているのです。なんて変なこと、と信じられないでしょうけれど、これは間違いない事実なのです。(以下、省略)』

ぼくは、静さんの20ページにも及ぶ長い手紙を一気に読んだ。そして実感した。少女の疑問はそっくりぼく自身の疑問でもあると…。

そして、静さんは小冊子の後半に、以前から信奉し、心の糧としていたシルバーバーチの言葉の一部を抜粋して掲載していた。

「シルバーバーチ?」
ぼくが生まれて初めて、その名を知った瞬間だった。

(つづく)



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