ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.31 「役立たずの日記」


病院には、いろいろな人生ドラマが凝縮されている。
喜び、悲しみ、そして苦しみ。
病院は全てが特別に色濃く出る場所のように感じる。

私は看護師になって3年目だけれど、この入院病棟に配属されてからまだ半年しかたっていない。

ついさっき、一人の老婦人が膵臓ガンで他界した。
その人の名前は「真凛」さんといって、先週80歳の誕生日を迎えて、みんなで祝ったところだった。
その時はまだ笑顔でいたのに、今日はもういない。
大好きな人だったから、余計にぽっかり穴が開いたように感じる。
人の生命って、なんてあっけないんだろう。
今まで何人も見送っているのに、思い入れの強い人だったからか、やけに切ない思いがこみ上げる。

彼女がいなくなったベッドの周りを整理していたら、枕の下から一冊のノートが出てきた、
表紙には「役立たずの日記」と書いてあった。
役立たず・・・って・・・真凛さんが自分のことをそう思ってつけたタイトルなのかな。
身寄りがない人だから、残された持ち物はどうせ全部処分されてしまうだろう。

真凛さんはとても優しい人で、仕事でミスをして落ち込んでいた時、先輩に叱責されて悲しい思いをしていた時、黙って背中をさすってくれる人だった。
真凛さんが背中をさすってくれると、どんなに落ち込んでいても、不思議に気持ちが明るくなって前向きになれた。
楽しい話をすれば一緒になって微笑んでくれたし、愚痴を言えば、嫌な思いを吸い取るように「その気持ち、わかるわよ」と同調してくれた。

不思議なのは、真凛さんに話をすると、何故かしら自分で話しながら、自分で答えを見出すことができたことだ。
本当なら、看護師の自分が患者の真凛さんの力になってあげなければいけないのに、いつも立場は逆だった。

真凛という名前。
私は素敵だなあと思うけど、本人は子供の頃はその名前が大っ嫌いだったと言って笑っていたっけ。
今でも、その時の屈託のない笑顔が思い出される。

彼女が子供の頃は、名前に「子」が付くのが流行っていたので、「真凛」という名前が恥ずかしかったという。
なんでも、お父さんが大の海好きで、この名前を付けたのだとか。
でも、平成に入った頃から変わった名前を見かけることが多くなり、他の人からも素敵な名前だと言われるようになったからか、自分の名前もまんざらじゃないと思い始めたんだそうだ。

そんな真凛さんだったから、日記にはさぞかし素敵なことが書いてあるだろう。
私はその日記を読んでみたくなった。
院長に話したら気持ちよく許可してくださったので、日記は形見として頂くことにした。

仕事が終わり、アパートに帰って、その日記を開いてみた。
彼女が入院したのは1年前。
私がこの病棟に配属されてからまだ半年だから、私は途中からの真凛さんしか知らない。

日記は去年の夏から始まっていた。
真凛さんが79歳の時だ。


  H22年8月10日
  昨日から入院生活に入った。
  私はこんなに元気なんだから、病気のはずがない。
  医者の診断が間違っているに違いない。
  夕べは隣のベッドの人が咳込むから、うるさくて寝られなかった。
  6人部屋だなんて、イヤだイヤだ。
  個室に移りたいけど、お金がないから我慢するしかない。
  私みたいな者は、我慢するしかない。


  H22年8月13日
  医者も看護師も、能無しばかりだ。
  特にあのUという看護師は採血が下手すぎて、まいっちまった。
  医者だって、巡回に回って来てもいつも同じことしか言わない。
  カルテを見ながら、「 いかがですか。 お大事に 」 の2言だけ。
  入院しているだけでも気が滅入るのに、あの医者たちの顔を見ると
  よけいに滅入ってくる。
  何が白衣の天使だ。
  ヤツらの優しさは上辺だけ。
  口では優しいことを言っているけど、心の中では、ババアは老い先が
  短いんだから早く死ねばいいと思っているに違いない。


まだ1ページしか読んでないのに、驚きが隠せない。
なぜなら、自分が抱いてきた真凛さんのイメージとはかけ離れたものだったからだ。
あんなに優しくて、穏やかな真凛さんの言葉とは思えない。
真凛さんはジキルとハイドのような人だったのだろうか。
それとも、これは別の人が書いた日記なんだろうか。

その後も、似たような感じで、愚痴や悪口などが延々と綴られていた。
知っている人の名前がどんどん出て来るから、読んでいて気分が悪くなるほどだ。
思い切って飛ばし読みすることにした。

あら? 飛ばしすぎたのかな。
ある時から内容が変わって、今の真凛さんになっている。

飛ばしたところを振り返りながらパラパラとページをめくっていたら、どうやら大晦日が転機になっていることが分かった。


  平成22年12月31日
  もう大晦日だ。
  同室の人たちは家族がいるから、みんな自分の家に帰っている。
  今日からしばらくの間、病室には、私以外は誰もいない。
  他の病室もほとんどいなかった。
  私はこうして一人で死んでいくのだろうか。
  私が死んだら、看護師たちは厄介者が一人減ったと言って喜ぶだろう。
  私みたいな嫌われババアは、ゴミのように捨てられるだけだ。

  1人で紅白を見ていたら、大っ嫌いな看護師のUが、年越し蕎麦を
  持って入って来た。
  年越し蕎麦なら夕食で食べたのに、と思ったけど、なんでだろう、
  妙に嬉しかった。
  1人前の蕎麦を2人で食べた。
  夕食の残りで不味いはずなのに、美味しかった。

  あの人、1人で勝手に話して、1人で泣いて、最後に「聞いてくれて
  ありがとう」と言って部屋を出て行った。
  私が口をはさむ余裕がないぐらいに一人でしゃべったくせに、最後に
  「ありがとう」だって。
  嫌な奴だと思っていたけど、可愛いとこあるじゃない。



  平成23年1月1日
  正月なんだなあ、今朝は雑煮が出た。
  食べていたら、Uが病室に来て言った。
  「昨日は話を聞いてくれてありがとう。
  私、どうして真凛さんに話したのかなあ。
  最初は話すつもりはなかったのに、ついつい」 だって。
  私は何もしていないのに、変な人だ。
  人にお礼を言われるのは何年振りだろう。
  悪い気はしない。
  Uは悪い奴じゃなさそうだ。


この日を境に、真凛さんの日記から愚痴や悪口がどんどん減ってる。
大晦日まではUさんの悪口がたくさん書かれていたけど、それ以来減っているどころか、良い人みたいに変わっている。
Uさんは、私も良く知っている先輩の1人だけど、何があったんだろう。
本人に聞いてみるのが一番。

「ああ、大晦日の日ねえ。
 真凛さんが1人残っていたから、ちょっとだけ様子を見に行ったの。
 私は真凛さんに嫌われていたから行きたくなかったけど、これも仕事だ
 しね。
 お蕎麦はアパートで食べようと思って持ってたんだけど、つい『一緒に
 食べようか』 って口から出ちゃった。
 本音を言えば、あの頃はいつも陰険そうな顔をしていたし、文句タラタラ
 の人だったから、話をするつもりはなかった。
 お蕎麦も一緒に食べるつもりじゃなかったんだけど、あの日、私が病室
 に入ると、珍しくとても穏やかな顔をしていてね、ニコッと笑ってくれ
 たの。
 病室に一人だけだったし、好きな紅白を見ていたから気持ちがゆったり
 としていたのかもしれないわ。
 それで話してみたら、いつもの刺々しさがなかったので、2度びっくり。
 話しているうちに、つい私の方が自分の身の上話をしちゃったってわけ」

「そう、真凛さん、前は文句タラタラで刺々しかったんだ」

「どんな心境の変化があったのか、私にもわからないわ」

真凛さんの日記では、Uさんがお蕎麦を持って来てくれたのがきっかけみたいに書いてある。
でも、Uさんからすると、真凛さんがにっこり笑ってくれたからだと言う。

それ以降の日記を読み進めていくと、刺々しさは徐々に消え、私と出会った頃には全くと言っていいほど消えて、優しい内容になっていた。

  平成23年5月1日
  看護師のAさんは、最近採血が上手になった。
  Bさんは車いすを押してくれる時、病院の外のことを楽しそうに話し
  てくれる。
  Cさんは笑顔が素敵で、彼女を見ているだけで元気が出る。
  D先生は前は好きじゃなかったけど、人と話すのが下手なだけだと
  いうのがわかった。
  ぶっきらぼうな人だけど、最近は優しい言葉をかけてくれるよう
  になった。
  Uさんはかなりドン臭いけど、ニコニコしているからそれだけでいい。
  そういえば、Uさんも採血が上手になってきた。

  まるで魔法にかかっているみたいに周りの人たちが私に優しくしてく
  れる。
  人に優しくされるのって嬉しいもんだな。
  私は頭が悪くて要領が悪いから、子供の頃から、「役立たず」とか
  「能無し」って言われて、いじめられてきた。
  一生懸命やればやるほどうまくいかなくて、邪魔者扱いされたし、
  馬鹿にされてきた。
  だから、人間嫌いにもなったし、世の中を斜めから見るようになって
  いたのかもしれない。
  でも、最近はみんな優しい。
  だから、私も優しくなれる。

あ、私のことが書いてある。

  平成23年6月3日
  新しい看護師の千夏さんはくったくがない。
  私に孫がいたらこんな子だったかもしれない。
  とにかく、良くしゃべるし、笑うし、泣くのも人一倍。
  私は生きてる内にあの子の力になってあげられるだろうか。

真凛さん・・・そんな風に思ってくれていたんだ。
ありがとう・・・

最後のページは亡くなる1週間前に書かれていた。
みんなで誕生日を祝った日だ。
元々そんなに字は上手ではなかったけど、この日に書かれた文字は本当に弱々しい。
顔はにこやかだったけど、よほど体が苦しかったに違いない。

  平成23年9月30日
  皆さんありがとう。
  お世話になりました。
  神様ありがとう。
  私は幸せでした。

言葉としてはありきたりだけど、真凛さんの思いがいっぱい詰まっているように感じた。
1字1字をゆっくり読んだら、心が締め付けられるような感じと、その反対にホッとした思いとが同時に湧き上がった。

こうして日記を読み終えたけれど、何か釈然としない。
大晦日のお蕎麦を一緒に食べたぐらいで、人間がこんなに変わるはずがない。
きっと、日記には書かれていない何かがあるに違いない。
Uさんと仲の良い先輩に聞いてみた。

  真凛さんは特にUさんが嫌いだったみたい。
  やることなすことケチをつけるし、一度は食器を投げつけたことが
  あったわ。
  でも、Uさんは健気に真凛さんに尽くしたんだけど、そうすればする
  ほど余計に険悪なムードになっちゃって、Uさんはノイローゼの一歩
  手前まで行ってたんじゃないかな。
  『私は看護師に向いてないのかもしれない。辞めようかなあ』なんて
  ポツリと言っていたのを聞いたことがあるけど、そう思うのも無理な
  かったのよ。
  配属替え願を出したけど、時期じゃないから待ってくれということ
  だったし。
  Uさんが辞めるのが先か、配属替えが先か、って感じだったけど、
  意外にも真凛さんが変わっちゃって配属替えを撤回したぐらい。
  私が知っているのはそれぐらいだけど、本人に直接聞いてみたらどう
  かしら。

先輩がそう言ってくれたので、Uさんに聞いてみた。

  私ね、真凛さんと接してきて、たくさん成長させてもらえた。
  真凛さんがいなかったら、きっと今でも落ちこぼれの看護師だったと
  思う。
  何しろ、真凛さんという人は、私がドジるとすぐに怒鳴るし、嫌味を
  言うから、怒鳴られないように頑張ったもの。
  おかげでいろいろと上手になったし、どんなに扱いにくい人が出てき
  ても、対処できる自信もついた。
  私って負けん気が強いから、嫌われれば嫌われるほど突進する性分な
  のよ。
  だから、嫌われているのが分かっていたから、なおさら声をかけたの。
  そっぽを向かれても、名前を呼んでニコニコ挨拶をして、他の人より
  も余計に丁重に扱ったの。
  でも、真凛さんは最強でね、そうすればするほど余計に意固地になっ
  ちゃって、さすがの私もメゲたわ。
  自分ではニコニコしているつもりだったけど、きっと私の顔が引きつ
  っていたのね。
  見破られていたと思う。

  大晦日は真凛さんは1人だったし、検査もなければ何もなかったで
  しょ。
  寂しかったんじゃないかな。
  下手な声のかけ方をしたらまた怒ると思ったけど、私が持っていた
  お蕎麦を見つけて、『何持ってるの?』って聞いてきたから、つい、
  『一人で食べても美味しくないから、一緒に食べない?』って言っ
  ちゃったのね。
  そうしたら、少しだけにっこり笑ってうなずいたの。
  真凛さんは怒ったり文句を言うとき以外は無口だから、私が一方的に
  生い立ちなんかを話したらずっと聞いていてくれてね。
  何か共感するところがあったみたい。
  それ以来、私が声をかけるのを楽しみにしてくれてたみたいで嬉しか
  った。
  あんなに看護師たちから敬遠されていた人なのに、最後は一番評判が
  良くなったの。
  何がどんなふうに真凛さんの心に響いたのかわからないけど、まあ
  そんな感じかな。

心境の変化を聞いてみたいけど、本人はもうこの世にいない。
ただ言えるのは、真凛さんが幸せを感じながら旅立ったこと。

真凛さんの日記を通して、自分が先に優しくする努力をし続ければ、相手も変わることを学んだ。
私は、いつも自分のことばかり考えて、嫌なことがあると相手のせいにしてきた。
人に優しくなれないのは、その人に問題があるからだとか、あの人は損な人だ、心の狭い人だ、可哀そうな人だ、なんて思って自分を落ち着かせてきた。
でも、そうじゃなかったんだ。

私は真凛さんの愛情を受けるばかりだったけど、Uさんはすごいことをしたんだなあと思う。
今では、Uさんは私にとっての目標になった。
どんな患者さんに対しても笑顔で明るく接すること、これって結構大変。
でも、それをしていかなくては看護師は務まらない。
よーし、頑張るぞ!
明日も明後日も、ずっと晴れるといいな。



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