ぼくのスピリチュアル物語 30 「UFO」


小学校低学年の夏休み。プールから帰ってひんやりとした畳の上に寝転がって染みだらけの天井を眺めていたとき、ふと頭に浮かんだひとつの疑問…
「もし死んだら、ぼくというものはどうなっちゃうんだろう?」
怖くなってすぐに考えることをやめた。その記憶は忘れもしない。
しかしそれ以来、その疑問は表面に出たり隠れたりしながらも、ぼくの人生のテーマとして根底に横たわってきた。その疑問は、いまもなお完全に解決してはいないが、当面の回答は「シルバーバーチの霊訓」であり、「黒住さんの霊界通信」だと思っている。

前回の「送受信器」で黒住さんからの12通目の霊界通信を紹介したが、その後半には、黒住さんが自分自身のことについて伝えるたいへん興味深い記述がある。

(「黒住さんからの霊界通信、12通目(1985.6.10)」より)
《かくして、私自身、私自身の軌跡を通して天なる意識に戻った。
 …中略…
医師としての一生を送ってこちらに来て、やはり医師としての働きのグループの中に所属している。多方面にも所属している。三次元の人の科学研究よりも、別の観点からその分野が非常に鋭く見えてくる。要するに次元が違うということだ。肉体界では要するに幼い立場のままの医師としての技術研究でしかない。病というものの原理が別の時点から見えてくる。その点、私自身も幼い地球上の一個人であったとしか言いようがない。しかし、大いなる意識(アラヤ=普通意識を超越した魂意識)を織り得る者は幸いである。
大師というべき御方を指導にいただいている。確かに壮大なる果てしなき天上界から、したたり落ちて来る雫をいただく。これもひとつの表現である。かくして、こちらの世界の甘美さは計り知れない。》

「天職」という言葉があるが、こちらでも向こうでも「医師としての働き」をされる黒住さんの場合は、まさにそうである。しかし、こちらの世界では「幼い立場のままの医師」であり、向こうの世界では「病というものの原理が別の時点から見える医師」らしい。
これらからも、肉体を身にまとうことがすべての感覚をいかに鈍重にさせるかがわかる。

「要するに、次元が違うということ…」
黒住さんのこの一言がすべてを包括しているように思う。次元が違う世界のことをどちらかの次元の表現で語ることは難しいことなのだろう。

そして、もうひとつ興味深いこと、黒住さんが「大師を指導にいただく医師グループ」に所属していること。そこから想像できることは、ならば「弁護士グループ」や「哲学者」「スポーツ選手」「芸術家」などなどいろいろなグループがあるのだろうか?
心霊書などに「霊団」という言葉がよく出てくるが、あれは、何かの目的でこちらの世界とコンタクトとるために組まれた外交プロジェクトチームではないだろうか?

つまり、次元が違っても霊界にもこちらと似たような社会がある。ぼくはそう思っている。
そして、もうひとつそこから根拠はなく発想を広げると、霊団が移動するときに利用する乗り物があって、それがこちらで言うところのUFOではないかと考えている。

霊感が強い人がよくUFOを見ると聞く。UFOが出現して目撃されたりされなかったり、突然現れたり消えたり、別次元の存在が何かの歪みで見え隠れしているのではないだろうか。

役目としていくつものグループに別れ、こちらと似たような社会をもち、集団での移動手段に乗り物をもっている。ぼくは霊界の一側面をそんな風に空想している。

そして、あちらは…
《こちらの世界の甘美さは計り知れない》…らしい。

だったらいつ死んでもいい。死ぬつもりなら何でもできる。

(つづく)



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