ぼくのスピリチュアル物語 21 「静へ」


『穏(おだ)しかる いのちの流れあるときに
 君が手を取り 妻とこそ思え』

この世を去って約三週間後、黒住さんが天界から送り届けた一篇の短歌、その意味を静さんが理解できたのは、一年半後の1985年11月17日だった。実は、この日は2通も通信が届いた。その2通目、通算39通目にあたる通信の冒頭には「静へ」と添えられていた。

以下、その全文である。

(「黒住さんからの霊界通信、39通目(1985.11.17)」より)
『静へ、今後ますます小さき己れのわくを超えて、大いなる意志の中に入られたし。
皆さんすべてを含めて御用の中に入れらるれば、浮世の黒住をはなれてスピリットとして、天意を軸と奉戴(※)して動く者としての行動をとられたし。
穏しかるいのちの流れあるときに……の歌の意もそこに由来しているのである。要は天意の核に還りゆくのである。
すべては横一列の同核となり、すべては縦一直線の流れとなる。私意を超えてゆけば、そこに至るのである。当然に越えてゆく界となるのである。人の智は乱ともなりやすい。行動は常に冷静、沈着、理性を軸とし(之も天より来る)一歩をおいて判断し、布石とされたい。
天意による指示を台とし……それぞれに育ててゆくものである。何ごとが今後あっても、浮足たたないこと。

※奉戴(ほうたい)…つつしんでいただくこと

この文を一読し、ぼくの心にまず湧き上がってきたのは…

「黒住さ〜ん、わかりにくいよ〜」だった。比べて申し訳ないがシルバーバーチの表現の方が断然わかりやすい。あれは、近藤千雄先生の翻訳がすばらしいのだろうか。確かに、黒住さんは移行したてで不慣れなのはわかる。わかるが、届けても伝わらなければ意味がないのである。それとも謎解き形式で考えさせるというのが狙いだろうか。その答えは人の数だけあるみたいな…

そんなわけで、その意味がわかったという静さんの解説に期待したい。

(「生命の泉」静さんの註より)
「私に対するきびしい忠告として受け止めました。浮世の黒住として行動するのではなく、スピリットとして『天意を軸と奉戴(ほうたい)して動く』ようにということは、この世での黒住を意識してこの世的常識の世界に生きるのではなく、一スピリットとして常に神の御意思を体して生きるようにということであろうかと思いました」

ぼくたちは今世でいただいた姓名を掲げ、その一人間としてどう生きるかということについて一生懸命考え、その時間枠の中で夢や幸福を追い求めている。しかし、この通信の言わんとしていることは、そうではなくて、「天意」を軸にして、この世だけに焦点を当てて生きるのではなく、永遠に不滅のスピリットとして行動せよ、と言っているのである。

そして、静さんの解説は短歌の解釈に滑っていく。

(「生命の泉」静さんの註より)
「『穏(おだ)しかる いのちの流れあるときに 君が手を取り 妻とこそ思え』
この短歌の意味は、穏やかな生命(いのち)が交流しているときにこそ、妻である私の手をとり得て導くことが出来るのであるというような意味かと思います。思えの「え」は感動を表すことばということです。つまり、私の方が穏やかな生命の波動体であるということが、導きを受け得る条件なのだと思います」

「穏やかな生命の波動体であるということが、導きを受け得る条件」という静さんの解釈にひとつ目からウロコが落ちた。向こうから伝えたくても、こちらの受信準備ができていないと導きを受け取れないということである。その良き受信状態とは、穏やかな心の状態であること。

(「生命の泉」静さんの註より)
「天意の核」とは神の御意思の中核をなすものすなはち「真実の愛」ということであり、私達はこの神(真実の愛)へ還りゆく修行の旅路に今あるのだと思います。同志の友もまた、その「愛」という中心をもった横一列の同核の者であり、同じ神から出た同志だから当然縦一直線の流れとなる筈であること。そして、そうなるためには私意(我の思い)を超えて、みんな同じ神の道具なのだとの自覚を持つならば、必然的にそうなれるのであると言っています。

キリスト教徒ではないぼくには、この「神の御意思」とか「真実の愛」いう言葉がどうもしっくり来ないのである。黒住さんが、この通信の中で使っている「天意の核」とか、あるいはよく言う「宇宙の法則」という方がニュアンスとして近いような気がするのはぼくだけだろうか。

(「生命の泉」静さんの註より)
人の智慧をすべて良しとしていると、生きる姿勢が統一されず乱れやすい。天の意を尊重し、その指示をよりどころにすべきであること。そして何ごとが今後あっても動揺しないようにということですが、それには心が常に穏やかで落ち着いていなければならないし、そうなるためには、神の愛と導きを心から信じて歩み得る者にならなければ出来ないことだと思います。とにかく厳しい通信なので身の引き締まる思いがしています」

現世だけに拘らず、もっと大きな視点に立ち、どんなことがあっても動揺せず、穏やかな心の状態でいること。なるほど、日々をすごす上での思考や行動の具体的な指針が見えた気がした。

黒住さんからの通信は、こういった静さんを良き方向に導こうとするものに留まらず、霊界の世情を伝えようとするもの、また黒住さん自身の役目を伝えようとするものも少なくない。1984年1月14日に届いた通信は、こんな一文から始まる。

(「黒住さんからの霊界通信、4通目(1985.1.14)」より)
「私は生命の金字塔を立てたくて連絡をとったのである」

(つづく)



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