ぼくのスピリチュアル物語 10 「あとがき」


平野さんが「月刊公論」で連載した『瞑想するコペルニクス』の第1回目は、こんな文章で始まる。

(「月刊公論」1991年8月号より)
プロローグ
「その時、僕は八重洲ブックセンターで心理学の本を物色していた。何冊かの本をまとめ買いし、レジのテーブルの上に差し出した時、その数冊の本の中に心理学とは縁遠い一冊の翻訳本が紛れ込んでいた。その本は確かに僕が選んだ本には間違いない。しかし、何気なく手に取ったこの一冊の本が、僕をこんな物語に引き込んでいくことを予想も予感もするはずはなかった。とにかく、この一冊の翻訳本からこの物語は始まる。」

このルポルタージュを読み進めていくと、平野さんが強い関心を抱いたのは本の内容ではなく、河口慶子さんという訳者が書いた「あとがき」だったことがわかる。

(「光の彼方に〜死後の世界を垣間みた人々〜」の「訳者あとがき」より)
「主人は一九八五年八月の日航ジャンボ機の事故で、この世の命を終えております。主人が機内で私どもに宛てて遺しました「走り書き」には、「どうか神様助けて下さい」という一行がございましたが、生前は、「人間は死んだらどうなると思う」という私の再三の問いに、いつも「なんにもなくなるさ」と答えておりました。でもやはり、死んでみてそうでないことを知り、私にこの本の翻訳をさせて、みなさまに読んでいただきたいと思ったのではないかと思います。」

急降下する機体の中で走り書きされた震えるような文字が、ぼくの脳裏に蘇った。河口慶子さんが、あの遺書を残した人の奥さんであることをぼくは初めて知った。

当時、河口博次さんの遺体のポケットから発見された手帳の遺書を各新聞がいっせいに掲載した。

(河口博次さんの遺書より)
「マリコ 津慶 知世子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因はわからない
今5分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事したのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかり た(の)んだぞ
ママ こんなことになるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今6時半だ 飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している」

新聞に掲載された「博次さんの遺書」は、全国の人々の心を締め付けた。と同時に、テレビ局各社のカメラが慶子さんに向けられた。その記者会見で慶子さんは、遺族とは思えぬ表情で毅然として語ったのである。

(つづく)



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