ぼくのスピリチュアル物語 06 「霊界通信」


午後の喫茶店で話しているぼくたちは、他の客から見れば、赤ん坊を抱いて里帰りした夫婦が母親と世間話をしているようにしか見えなかったに違いない。

しかし、ぼくたちの話題は母親の近況でもなければ、育児のことでもなかった。ぼくたちは、亡くなられたご主人から死後にメッセージを受け取った静さんの体験に耳を傾けていた。

大学病院の医師であったご主人の黒住さんは、ある日気分が悪いと早退してきた。吐き気がするというので、布団に横にならせ、静さんは洗面器を取りに行った。そして戻ったとき、すでに黒住さんの意識はなかった。

救急車ですぐにご主人の勤める病院に運んだが、昏睡状態が十日間続き、黒住さんの意識はそのまま戻ることはなかった。

「夫が眠り続けていた十日間、私はずっと脇にいたんです。亡くなる四日前でしたか、突然、私の知り合いが訪ねてきましてね」

かつて同じ教団の信者だった顔見知りの女性だった。

「ご主人があなたに感謝していることを伝えてくれって」

共通の知り合いYさんから頼まれて伝言を伝えに来たという。Yさんは、霊感の強い人だった。同じ教団にいた頃、死者の霊と対話したことがあるという話を聞いたことはあった。

しかし、そのときまだご主人は昏睡中だが生きていた。それに、Yさんとご主人はまったく面識がなかったので、かつての仲間が、悲しみの中にいる自分を励まそうとしてくれているのだろうと静さんは思ったという。

そして、静さんの願いもむなしく、黒住さんは1984年4月12日、この世の生命を終えた。

葬儀に現れたYさんは、遺影で初めて黒住さんを見て「間違いない、この人です」と言った。黒住さんの臨終の日、Yさんは激しい体調の変化を覚えたらしい。そして、そのとき感じた波は間違いなく黒住さんのものであると確信して帰っていった。

その数ヵ月後、黒住さんがメッセージを送ってきたとYさんが再び訪ねてきた。それは、Yさんの耳にはっきり聴こえる「霊聴」として届き、Yさんが書き取ったものだった。

それからというもの、Yさんは頻繁に受け取ったメッセージを届けにやってきた。結局、それは約二年続いたという。当初は信じていなかった静さんであったが、語りかけてくる内容、ユーモアのセンスなどから、そのメッセージが亡き夫本人からのものであることを確信したという。

そして、静さんは静かな口調で淡々と驚くべき内容を語った。

「何年か前に飛行機が落ちましたでしょ、あのことも書いてきたんですよ」
「ええっ!」

1985年8月に群馬県の御巣鷹山に墜落した日航123便の事故は、6年経ったその当時でもまだぼくの記憶に鮮明に残っていた。

黒住さんが亡くなったのが1984年4月、あの大惨事はその1年と数ヶ月後である。ぼくは、あの大事故について霊界からどんなメッセージが届いたのか、強い興味を抱いた。

「先日、雑誌の方が取材に見えて、そのへんのことを書かれると思いますが…」

静さんは雑誌の取材を受けたらしい。記事が手に入ったらコピーを送ってもらうという約束をして、ぼくたちは静さんと握手をして別れた。

友人宅に戻る車の中で、ぼくがこれまでに空想してきた仮説が少しづつ確信に変わりつつあるのを感じた。

「人は死んでも、魂は生き続ける」 静さんからとてつもない大きな勇気をもらったような気がした。

(つづく)



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霊的故郷