ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.33 「風子の変貌・・・ C 再婚」


風子が音信を絶ってから10年余り。
私たちがもうすぐ40歳になろうとしていたある日、彼女から電話がかかってきた。

   「よかった! この電話番号、まだ生きてたね」

聞き慣れた声のはずだったけど、すぐにはわからなかった。
それはそうだ。
10年以上もブランクがあったのだから。

私は、彼女を自宅に呼んだ。
久しぶりに会ってみると、10年前に再会した時と同じで、まだ水商売をやっていた。

私は風子の離婚騒動以来、ずっと良心の呵責を感じてきた。
何しろ、風子が大変な時に、力になるどころか、居留守を使って彼女に関わることから逃げていたのだから。

しかし、風子が言った。

  「あの時は巻き込んでしまってごめんね。
   私、どうかしてた」

本当は私の方が謝らなくてはいけないのに、彼女の方が謝ってきたので、私は不意を突かれて固まってしまった。

そして、彼女は独り言のようにつぶやいた。

  「人のせいにしたって、良いことなんて何もないもんね。
   結局、自分に跳ね返って来るだけなんだから」

風子らしくない謙虚な言葉に、私はいささか驚いた。
だって、私の知っている風子は、いつも自分は悪くない、相手が悪い、という姿勢だったから。

それから、お茶を飲みながら、その後の様子を聞いた。

離婚沙汰があってすぐ、風子は家を出たらしい。
調停とか裁判とか、そういう知識がなかったから、少しの生活費をもらっただけで追い出された形になったという。
その連絡を私にしたかったらしいが、連絡が取れないまま出てしまったという。

それを聞いて、私の胸は痛んだ。
やっぱり、話を聞いてあげるべきだった・・・

祖父はすでに他界していたし、住むところもないし、どうやって生計を立てていこうかと考えて、とりあえず、名目上の両親のところに行った。
案の定、頭ごなしに叱られたが、住むところがないと言うと、裏のプレハブを整理して、しばらく置いてくれることになった。

しかし、元々、気持ち良く両親になってくれた人たちではない。
祖父の甥ではあるけれど、祖父が頼み込んで両親になってくれた人たちだ。
そんな人たちだったが、それでも、母親の方は不憫に思ったらしく、昼間、父親がいない時に母屋の方に招き入れてお風呂も使わせてくれたし、食事も用意してくれた。

ところが、父親は風子のことを良く思っていなかっただけに、会社から帰ると、「ただ今」の挨拶もそこそこに、「アイツは出て行ったか。いつ出ていくんだ!」と、わざと大きな声で、風子に聞こえるように繰り返した。

職安に毎日通ってはいたが、自分にできそうな仕事がなかなか見つからない。
どうしたものかと思案に暮れて街中をさまよっていたら、住み込みで働けるところを見つけた。
もうどうなっても構わない、どうせ自分のことを心配してくれる人なんて誰もいない、という気持ちも手伝って、ヤケになって水商売の道に入り込んだ、と話してくれた。

スナックで働き始めて半年もした頃、上司と一緒にお店に来た若い男の人と親密になった。
この男の人はまだ20歳。
それに、風子と若い男の年の差は14歳だから、弟のように接していたつもりだったが、思いがけずプロポーズされた。
イケメンではないし、男として面白味はないが、真面目そうな人で、その地味さに安心感を覚えたという。

もう結婚はこりごり、と思っていたのに、人間は寂しさには耐えられない。
かなり年下だし、すごく好きではなかったが、自分を必要としてくれるならと思って、求められるままに再婚し、水商売から足を洗った。
今思えば、相手の若い男の人は、風子に対して母親を求めていたのかもしれないという。

結婚して1年ほどたったある日、家で掃除をしていたら、若い夫が血相を変えて家に帰って来た。
友達に騙されて、無理やり車を買わされたという。
値段を聞くと、800万円。
見かけは普通の乗用車だが、あちこち改造してあるので高いらしい。

  「買うのを断れないの?」
  「相手はやくざだから怖くて言えない」
  「どうしてやくざの友達なんか・・・」

夫が言うには、やくざだとは知らなかったという。

風子はヤンキーだった頃の自分が蘇り、話をつけるために、嫌がる夫を無理やり引っ張ってやくざの家に行った。
チャイムを鳴らすと、若い下っ端たちがドヤドヤと出てきた。
それを見ただけで夫は恐れをなし、風子を残して一人で逃げ帰ってしまった。

風子は、下っ端たちを怖がることなく、

  「うちのダンナが、あんたたちの仲間に車を買わされたんだってね。
   これって、ボッタクリだろ。
   うちらカタギのもんを騙すなんて、ひどいじゃないか。
   今日はその話をつけに来た。
   アタマはいるのか!
   ガタガタ言わずに、アタマに会わせろ!」

と言うと、少し上の者らしい人が奥へ行った後、別室に通された。
そこにいた親分は、風子の言い分を聞いてくれた。

  「あんた、カタギの女なのに、一人で乗り込んで来るとはええ度胸
   してるなあ。
   車の件はわかった。
   こっちが悪かったみたいやから、チャラにしたるわ。
   何かあったら相談に乗るから、また遊びに来な」

そう言ってくれて、おまけに黒塗りの大きな車で、若い者に家まで送らせると言った。
しかし、しっかりと断って、歩いて帰ったという。

家に帰ると、夫はブルブル震えながら暗い部屋の中でうずくまっていた。
風子の顔を見て、泣きながら、「ごめんな、ごめんな」と謝るのを見て、「私がいないと、この人はダメになってしまう」と思うと、愛しさが込み上げた。

しかし、この件は序の口で、これをきっかけにして、他にも借金していることが芋づる式に暴露された。
今回、ヤミ金から借りたのは30万円足らずだったが、利息がどんどん膨れ上がって、半年で800万円ぐらいになっていたのだ。
それで、800万円の車か・・・と読めた。

他にも3つのヤミ金から合計50万円借りていることが分かり、こちらは2,000万円を越える額になっていた。
これはトイチ(10日に1割の利息)より高い。

風子は夫からその話を聞いて、もう一度やくざの家に出かけた。
若いチンピラも風子のことを覚えていて、すぐに親分に会わせてくれた。
下っ端と違って、親分というのは話が分かる人で、元金を返せば全部話をつけてやる、と約束してくれた。

これが縁で、その後、この親分は何かと風子の世話を焼いてくれたという。
後で知ったことだが、この親分がまだ若い頃、長女を病気で亡くしてしまい、もし生きていれば風子と同じ年なのと、度胸が据わっているところが気に入り、自分の娘のように思えて世話を焼かずにいられない、とのことだった。

この時からずいぶん後になるが、この親分は、風子の一言でやくざから足を洗ったという。
ある日、左手の小指と親指がないのに気が付いたので尋ねたら、息子が組の後を継ぐこと、左手の親指を詰めて差し出すこと、この2つを条件に、足を洗うことを許してもらった、と教えてくれた。

若い夫の金遣いの荒さは以前から気になっていたが、肝っ玉が小さいのは仕方がないとしても、自分でやったことの始末も付けられない人だとわかると、愛しいと思った気持ちが一変して、情けなさが込み上げたと言う。

このことがあってから、風子は年下の夫が信じられなくなり、しばらくして2度目の結婚生活が終わった。
そして、生活のために水商売に戻ったと言う。

私は風子の一連の話を聞いて、まるで映画にでも出てくるような展開に、ただ目を丸くして聞くしかなかった。

        ☆      ☆     ☆

『類は友を呼ぶ』という言葉があるが、風子と私は決して同類ではない、と思っていた。
それは、子供の頃は、磁石のSとSが反発しあうような関係だったから。
しかし、大人になってからずっと繋がっていると言うことは、「腐れ縁」なのだろうか。
それとも、やはり同類になったのだろうか。

一通り話した後、しばらく沈黙が続き、風子が言った。

   「ねえ、やっぱり水商売って良くないよね」
   「うん、良くないと思う。」
   「やめようかな」
   「うん、やめた方がいいと思う」

最後はそんな会話がポツポツと続いた。
風子はどうやら、背中を押してほしいらしい。

やくざを相手に啖呵を切ることができるのに、自分自身のことになるとからっきし決断ができない。
若い夫が、自分の始末がつけられない、と言って風子の方から一方的に離婚したのに、目の前にいる彼女は、自分に対する決断力がなさすぎる。

その後、彼女が言った。

   「私ね、最近本を読むようになったんだ。
    今頃になって、もっと勉強しておけば良かったって思ってる。
    あの社会の先生が言ってた通りだよ。
    教師の言うことは聞いておくものだね。
    最近は飛ばし飛ばしだけど、けっこう読めるんだ」

そう言って、照れ臭そうに笑った。

聞いてもらって満足したのか、彼女は今までで一番良い笑顔を見せて帰って行った。

それから数日して、電話がかかってきた。

  「私ね、水商売やめたよ」

思ったより早く決断したことに、拍手を送りたい気分だった。
そして、その時の声は、溌剌として透き通っていた。

その後、風子はちょくちょく私の家に来ては、話し込んで帰って行くようになった。
話題は他愛もないことばかりだが、とにかく、水商売をやめたことは良かったと思う。

次にウチに来た時、なんだか沈んでいるように見えた。
聞いてみると、水商売をやめる少し前からだが、胃の調子が悪かったらしい。
それで、胃カメラの検診を受けた。
不調と感じていた原因は、胃の中が少し荒れているからだとわかったが、それとは別に、初期の胃ガンが見つかった。

まさかの宣告。
それからは将来への不安が一気にやって来たようで、いつも泣き言を言うようになった。

 ――私の人生って何だったんだろう。
    このまま死んだら、私が生きた証が何もない。

よほど辛いのだろう。
そんなことばかり言っていた。

私が、「頑張ろうよ。泣いてばかりいると余計にガンが進行しちゃうよ」、と励ましても聞く耳持たずで、気持ちは沈むばかり。
あのヤンキー時代の風子からは想像もつかないほど、弱気な面ばかりが出ていた。

ガンの手術と治療にはお金がかかる。
初期だから緊急手術と言うわけではないが、医者は一日でも早い方が良いと言う。
しかし、もし手術するとなると、水商売で貯めたお金を使い果たしてしまうことになる。

数日間、不安と闘いながら出した彼女なりの結論は、手術をしない、というものだった。

 ――誰でもいつかは死ぬし、今の自分が死んだって誰も困らない。
   それに、長生きしたって良いことなんて何もない。
   それならいっそのこと、このままガンで死ぬ方がいいかも。

ガンを宣告された時は、悲しみと恐怖が一気に襲ってきたが、いったん手術をしないと決めると、逆に不安な気持ちは収まった。
あとは成り行きに任せるしかない。
そう、考えて腹をくくったと言う。

体調が思わしくないため、仕事を辞めざるを得なくなった。
貯金を切り崩しながら生活していたが、とうとう、底をついた。
それで、知り合いから勧められて、生活保護を受けることにしたと言う。

正直なところ、いつお金を貸してほしいと言い出すか、内心冷や冷やしていたが、そうした頼みごとは一切なかったので、ホッとした。

ところが、不思議なもので、生活保護を受け始めたらガンが治ったと言うのだ。
これには医者も驚いていると言う。
たぶんだが、私は、食生活が良くなったからだと思っている。

以前は、水商売で高収入だったということもあって、暴飲暴食を繰り返していたから、それが原因じゃなかったかと思っている。
ところが、ガンの宣告をされ、生活保護を受けることで、質素なものしか食べなくなったから、それが逆に功を奏したのではないかと。

聞くと、生活保護と言うのは、なかなか厳しいものがあるらしい。
税金で成り立っている仕組みだから、周りに知られると、税金泥棒と言われかねない。
それに、貯金は一切してはいけないし、たとえ内職にしても、働いた金額は保護費から差し引かれてしまう。
だから、働かない方がマシ、という考えに陥るのだという。

この時に力になってくれたのが、以前知り合ったやくざの親分だった。
この頃、この元親分は解体業を営んでおり、簡単な仕事がある時に風子を誘ってくれて、自分のポケットマネーから賃金を払ってくれた。
それも、時給で5千円ぐらいくれたと、うれしそうに言っていた。

しかし、その元親分も歳には勝てず、子供の世話になるために遠くに引っ越して行った。
元親分とはそれっきり連絡が取れなくなったという。

ガンの再発もなく、体調も次第に戻り、それに仕事が見つかったことで、風子は生活保護を辞退して、新しい生活を始めた。

仕事が忙しいのだろうか、この時を境に、またしても音信が途絶えた。
住んでいる所と電話番号は知っているので、たまに私の方から電話をかけてみたが、いつかけても電話には出ない。
アパートに行ってみると、住んではいるようだが、いつ行っても留守なので、私の足は自然に遠のいた。

それでも、忘れた頃に電話がかかってきて、「何しろ忙しいからゴメン」と、風子らしくなく、手短の近況報告で終わった。

そうした状態が数年続き、次に会った時は、今までの風子とは全く違った人へと変貌していた。

(つづく)



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