ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.14 「責めること、許すこと」


今から30年ほど前、由緒ある旧家の長子として、雅史が生まれた。
幼い頃はとても頭が良く、3歳でひらがなもカタカナも読めた。
家族はそんな雅史に大きな希望を見出し、能力を埋もれさせないようにしようとして英才教育を始めることにした。
習字、英会話、ピアノを習わせると、どれも面白いほど上達した。
この家族にとって雅史は自慢の子供になった。

  雅史は偉いねえ、もう英語を読んだり話したりできるし、
  ピアノだって大人顔負けだよ。

雅史は褒められると有頂天になり、更に頑張った。
独身の叔母も、雅史を自分の子供のように可愛がったし、祖母は雅史が何をやっても目を細めて見ていた。
周りは雅史をチヤホヤして育てた。
すると、大きくなるにつれて、だんだん我がままが出るようになり、周りはそんな雅史にだんだんと手を焼くようになっていった。
今までは習い事が上達するとみんなが褒めてくれたが、それは最初のうちだけで、小学校に上がる頃になるとできて当たり前という風に変わって行った。

その頃、6歳違いで妹が生まれた。
当然と言えば当然かもしれないが、家族の目は妹に注がれた。
今まで雅史に注がれていた目が、妹に注がれるようになったのである。
そうすると、雅史は寂しさを感じ、スネることが次第に多くなった。
それに、いくら習い事を頑張っても、誰も前のように褒めてはくれない。
それどころか、できなかったりすると「前はできたのにねえ」と言われたりする。
するとたんに機嫌が悪くなり、習い事をせずにゲームばかりをやるようになった。

姑や小姑、夫は、「雅史がワガママになったのは母親が甘やかすからだ」「母親の躾が悪いからだ」「これは母親の血筋だよ」などと言うようになった。
母親というのは、こうした旧家では立場が低く、口答えは許されない上に、子供の躾まであれこれ指図される。

  後継ぎだからといって勝手にちやほやしておきながら、悪くなると全部私のせいに
  するんだから、頭にくる。
  でも、言い返すことなんてご法度だし、いつも下手に出ていなければいけないなんて、
  私の存在なんて、ないに等しいわ・・・

母親のストレスはどんどん重なり、その鬱憤を晴らすように、雅史へ小言を言うことが多くなった。

  またゲームやってる。
  こんなところを見られたら、お母さんがお婆ちゃんに叱られるのよ。
  分かってるの?
  ほら、さっさと片付けて!
  あなたはお兄ちゃんなのよ。
  妹のK子なんかまだ小さいのに、後片付けぐらいはさっさとやるのに。
  宿題はやったの?
  前はなんでもすぐに覚えたのに、最近は九九だってちっとも覚えないんだから、
  嫌になっちゃうわ。
  お前の出来が悪くなってきたのは、私のせいじゃない。
  この家の遺伝なのよ。
  お婆ちゃんはうるさ過ぎる。
  味付けが濃いって言ったから薄くしたら、薄すぎるって言うし。
  掃除だって自分は何もやらないのに、あれこれ指図ばかり。
  私は家政婦じゃないのよ。
  もういい加減うんざり。
  せめてお前のことぐらいあれこれ言われたくないから、大人しくしてるのよ。
  分かったわね!

この頃になると、誰も見ていないところでの小言、それも姑や小姑の愚痴も雅史にぶちまけるようになり、最後に必ずこう付け加えていた。

   お母さんが今言ったことは、絶対誰にも言ってはいけない。
   もし言ったら、お母さんは雅史を置いてどこか遠くに行ってしまうからね。

雅史は母親がいなくなる不安を抱え、母親が言ったことは一切他言しなかった。
そして、心の中に重い荷物が増えるにつれ、雅史はだんだんと自分の殻の中に閉じこもるようになっていった。

こうした児童期を過ごしたので、小学校高学年の頃の担任の評価は“おとなしい子”だった。
成績はごく普通。
中ぐらいである。
しかし、旧家の跡取りがこの成績では恥ずかしいということで、祖母と父親は「母親のお前の勉強のさせ方が悪い。成績が悪いのは、母親の遺伝だ」などと言い、母親は母親で、雅史のせいで自分がいろいろ言われたと言って、その鬱憤を晴らすように、雅史を正座させて数時間も説教し続けることもあった。

   どうしてこんな成績しか取れないのよ。
   ちゃんと問題を読んでいれば、こんな間違いなんてするはずない。
   他の子ができてお前にできないって、おかしいでしょ。
   努力をすれば、何だってできるのよ。
   妹のK子なんて、まだ5歳なのに、言うことはよく聞くし、お稽古事だってどれも上手。
   それなのに、お前はゲームをしたり、漫画ばかり読んで勉強しないから成績が悪いの。
   お兄ちゃんが勉強できなくてどうするのよ。
   お母さんが子供の頃はちゃんと勉強したのよ。
   お婆ちゃんやお父さんは、お前の出来が悪いのは私のせいだって言うけど、
   本当は、お前がお婆ちゃんに似ているから出来が悪いのよ。
   最近は、お婆ちゃんの底意地の悪い顔つきに似てきてるし。
   まったく、本当に嫌になるわ。

雅史は何も言わずに下を向いたまま、母親の小言が収まるのをじっと待つしかなかった。

雅史が中2になったある冬の日のことだった。
お風呂に入る際、入浴剤を入れようとして、誤って湯船の中に箱ごと落としてしまった。
入浴剤を入れすぎた風呂はとても入れるものではなく、雅史は湯を抜いて出るしかなかった。

しばらくして、仕事から帰った父親が風呂に入ろうとすると、風呂場は入浴剤の匂いでムンムンとし、おまけに湯が入っていなかった。
怒った父親は母親を怒鳴りつけた。
母親は、父親に怒鳴られたのは雅史のせいだと言い、理由も聞かずに頭ごなしに叱り付け、責め立て、平手打ちをした。
雅史は口答えもできず、黙って頭をうなだれ、いつものようにその場が過ぎるのを待つしかなかった。
そして、母親は事あるごとに入浴剤のことを蒸し返した。
それ以来、雅史はおとなしい子から、陰気な子へと変わっていった。

中学時代はその陰気さが原因で、なかなか友達ができなかった。
教師もまた、愛想がなくはっきりしない雅史には冷たかった。

  母さんは、口を開けば小言や愚痴しか出てこない。
  父さんはほとんど家に帰って来ないし、妹はおしゃべりが多くてうるさいし、
  認知症が始まってるおばあちゃんは時々僕を可愛がってくれるけど、
  そうすると母さんが怒り出す。
  母さんも父さんもお婆ちゃんも、妹のK子の方が可愛いみたいだし。
  僕はいない方が良い人間なんだろうか・・・
  俺は悪い人間なんだろうか。
  やっぱり、僕はいてもいなくても、どっちでもいい人間なのかもしれない・・・

雅史は、そんなふうに考えるようになっていた。

そんなある日、小さな事件がおきた。
英語の授業の際、教科書を忘れてしまっていることに気がついたのだ。
他の子だったら友達から借りるのだろうが、雅史には貸してくれる友達がいない。
教師に教科書を忘れたことを言いに行く勇気もない。

雅史が教科書を机の上に出していないのを見つけた教師は、その日に限って虫の居所が悪かったのか、必要以上に責めた。
今までなら言われるまま我慢していたが、雅史はこの時ばかりは反発した。

  どうして先生は僕をそんなに責めるんですか!
  僕はそんなに悪い人間なんですか!
  教科書を忘れたことはいけないかもしれないけど、気がついても家に取りに帰ること
  なんてできません。
  貸してくれる友達もいません。
  そんなに僕は厄介者なんですか!!

教師は今までおとなしいと思っていた雅史の反発に面食らったが、それでも雅史が悪いと言って一歩も引かず、気持ちを汲もうとさえしなかった。
雅史の心の中にかつて感じたことのない怒りが湧き上がり、その思いが渦を巻き始めた。

このことがきっかけで、学校での雅史の反発は日ごとに大きくなってった。
授業中に勝手に教室から出て行ってしまったり、何の原因もないのに、教科書で机をバシン!と叩いて周りを驚かしたりする行動も出てきた。
雅史は、自分で自分をもてあますようになっていた。

  いったい僕はどうしちゃったんだろう・・・
  こんなことじゃいけないって分かってるんだ!
  分かってるんだよ!!
  でも、心の中のモヤモヤが爆発すると、頭の中がおかしくなっちゃうんだ。

そうした行動は家庭でも出るようになった。
今までは母親が一方的に雅史に対して怒っていたのだが、この事件を境に、今度は雅史の方が母親にひどく反発するようになっていった。
時として、雅史は自分で自分の気持ちをコントロールすることができなくなり、時にはテーブルを叩きながら奇声を発するようになった。
黙ってじっと我慢していると、自分の心も体も分裂していく感じがして、真っ暗闇の中に引きずり込まれる感じがしていた。
奇声を発したり、テーブルを叩くことで、ギリギリのところで自分を保つことができていた。

しばらくの間何も言わずに成り行きを見ていた母親だったが、とうとう雅史に怒鳴ってしまった。
すると、張りつめていた糸が切れた。
母親を殴ってしまったのだ。
雅史は動揺している母親の様子を見て、ざまあみろ! という気持ちでいっぱいになった。
いわゆる、家庭内暴力へと発展したのである。

驚いた母親は父親に相談したが、「お前の躾が悪いからだ」と言って取り合おうとしなかった。
姑にもそのことを話したが、夫と同じで「お前のしつけが悪いからだ」と言って、逆になじられてしまった。
それでも、母親は何度も父親に雅史の変貌ぶりを話したため、やっと父親が雅史に話すことになった。

  お前、母さんを殴ったんだってな。
  学校でも荒れてるって言うじゃないか。
  いったいどうしたって言うんだ。
  もう小さい子供じゃないんだ。
  お前がそういう態度を取り続けていたら、妹のK子も真似をするから、
  いい加減大人になれ!
  ただでさえ成績が悪いのに、これ以上素行まで悪くなったら、父さんも母さんも
  お前のことをかばいきれないんだからな。

それを聞いたとたん、雅史の中で何かが壊れた。
回りにある物を手当たり次第に壊し、父親を殴りつけた。
そして、床の上に倒れた父親に馬乗りになって殴り続けた。
腕力では、雅史の方が父親に優る年代になっていたのだ。

殴り続けながら、雅史は思った。

  くくく、なんだ、父さんなんて弱いじゃないか。
  今までこんなヤツのことを怖がっていたのか。

そう思ったとたん、父親に対して少しばかりの優越心が湧いたが、心の鬱積が消えたわけではなかった。

それ以後、雅史はやたら物を壊したり、大きな音を立てたりした。
そんな雅史を家族は怖がり、腫れ物にでも触るような扱いをするようになった。
食事は別になり、会話もなくなった。
母親が怒鳴らなくなったので、とりあえず、雅史の家庭内暴力は次第に小さくなっていった。

そんな雅史も高校に進学した。
高校を卒業したあとは大学ぐらいは出てくれないと世間体が悪い、と言われたが、
結局大学へは行かず、小さな食品会社に就職した。
そして、家を出て、会社の寮に入った。
会社では納品係になり、得意先を回ることが多かった。

ある日のことだった。
得意先のB店から電話が入り、注文数と違う量が納品されたというクレームが入った。
おまけに、伝票のあて先まで違っていたというのだ。
同僚のEが忙しいというので雅史が手伝ったのだが、その時A店に出す出庫伝票をB店として出してしまったのだ。
得意先が変われば売値も変わる。
ましてや、A店とB店はライバル的な店だ。
単に出庫数を間違えたとか、単価を間違えたと言うだけならいくらでも修正がきく。
しかし今回は、A店とのやり取りがB店に漏れてしまったことになるのだ。
つまり、会社に大損をさせてしまったことになる。

  とんでもない間違いをやっちゃったなあ。
  俺が叱られるよ。

とEに言われ、反発のしようもなかった。

ミスをしたのは自分だし、会社の信用を下げた上に、経済的な損害も負わせてしまった。
もしかしたら、損をさせてしまった分は、自腹を切ることになるのかもしれない。
それに、上司に叱責され、責任を追及されるのは目に見えてわかっていた。

そう思っていたその時、課長から呼び出しがあった。
雅史は今後自分はどうなるのかと不安がいっぱいで、課長の元に行った。
そこには課長と主任が難しい顔をして待っていた。

  君はこの責任をどう取るつもりなのかね。
  この大損害をどうやって埋めるつもりなんだ!

課長はことの経緯を聞かずに、頭ごなしに怒鳴った。
返す言葉がなく、ただ「申し訳ありませんでした」と言って頭を下げるしかなかった。

課長の叱責が終わり、主任と一緒に廊下に出た。
雅史は、今度はこの上司から叱られるのかと思うと、心が張り裂けそうになっていた。

  雅史君、得意先の入力をミスした経緯をちゃんと話してくれないか。

雅史は自分の担当ではなかったが、Eがあまりにも忙しそうだったので手伝ったこと、その日に入力した件数は約120件あったこと、間違えないように意識を集中していたつもりだったが、件数が多かったせいもあって、ふと気を抜いた時に起きたのかもしれないと話した。

主任はその一連の説明を聞いて、雅史に言った。

  わかった。
  ミスはわざとするものではないし、特に君の場合はEを手伝おうと
  いう善意だったから、私は君を咎めるつもりはないし、
  君に責任を押し付けるつもりもない。
  いつも見ていたが、君の仕事振りはなかなかのものだ。
  ただ、今回の場合、立場上どういう経緯でミスにつながったかを知っておかなければ
  いけないし、部長にも説明しなければいけないから話してもらったまでだ。
  課長の言ったことは気にするな。
  責任は全部私がとるから心配しないでいい。
  そのための上司なんだからな。
  君は何も心配しないで、今まで通り頑張って働いてくれたまえ。
  頼むぞ!

主任のその言葉を聞いて雅史は驚いた、と同時に涙が込み上げてきた。
自分は物心がついてから、叱られたりなじられたりしたことはあっても、褒められたこともなければ、認めてもらった記憶もない。
だから、今回もそうだろうと思っていた。
ところが、そうじゃなかった。

  主任は自分を叱責するどころか、認めてくれたし、励ましてもくれた。
  責任は全部自分が取るとまで言ってくれた。
  こんなことは初めてだ。
  責任を取れと言われたら会社を辞めるしかないと思ったし、借金をしても損した分を
  返していかなければいけないとまで思っていた。
  僕は、この主任に恩返しをしなければいけない。

その後、雅史は主任とのことをEに話をした。
Eが言うには、主任は以前課長にまで昇進していたが、部下が犯した大きなミスの責任を取ってクビになりそうになったことがあった。
ところが、部下たちがストライキまでしたので、クビにはならなかったが、主任に降格したということだった。

雅史はそれ以降、がむしゃらに働いた。
この上司に恩返しをするつもりで働いた。
それ以降も小さなミスをしたが、その上司はことあるごとに雅史をかばい、助言し、盾になってくれた。
よく見ていると、自分だけにではない。
誰に対してもそうなのだ。
だからみんな生き生きと働いているんだ。

ある日、同僚の送別会があり、二次会で主任と話す機会ができた。
すると、お酒の力が手伝ったのか、主任は自分の生い立ちを話し始めた。
2歳の時に生母が亡くなり、5歳の時に継母が来たが、その継母は気に入らないことがあると体罰を与える人だった。
青あざがない日はなく、父親が出張の時は、この日とばかりに継母はどこかに遊びに行くらしく、食事抜きではあったが、ホッとする日だったという。
家族を持つまでは継母のことが許せず、人間不信にさえなっていたらしい。
しかし家族を持って子供が生まれてからは、もしかしたら、あれは自分を厳しく躾ていたつもりだったのかもしれない、と思えるようになった。
そして、少なくとも自分だけは子供の盾になり、あらゆることから守っていこうと決心したと言う。
10年前には父親が亡くなり、継母が一人残された。
それ以降、一年に一度だけ電話をしているという。
まだしこりが取れたわけではないが、あの環境で育ったことは、今では感謝に変わりつつあるという。

  なあ、雅史。
  いつも思うんだが、世の中の人たちは、何かにつけて責任の所在を追及し合って社会を
  生きていると思わないか。
  いつも誰かに責任をなすり付け、自分を安全圏に置きながら生きているんだ。
  俺の大学時代の友人に、かなりぐうたらなヤツがいるが、そいつが言うには、
  自分がぐうたらなのは、両親が甘やかして育てたせいだと言う。
  生活が大変なヤツは、両親がもっとしっかりしてくれていたら、もう少しマシな
  生活ができているのに、と言う。
  どういう生活にしろ、みんな自分が気に食わない部分とか、自分の努力の足りなさを
  人のせいにするんだな。

  雅史は、自分が暗いのは、母親が雅史を責め続けたからだと言うが、俺はそれだけ
  じゃないと思う。
  虐待されて育った子供は、自分の子供を虐待するようになると言うけれど、全員が
  そうなるわけじゃない。
  俺は虐待されて育ったおかげで、自分の家族を守りたいという気持ちは人一倍強い。

  会社が自分の能力を認めないから良い仕事に就けないと言うヤツもいるが、それも違う。
  社長は社長で、会社の業績が悪いのは社員に能力がないからだと言う。
  社会が悪い、政治が悪いと言うヤツも多い。
  いつも誰かに責任を擦り付ける生き方をしていたら、人はどこで幸せを感じたらいいんだ。

  人は、自分が置かれた辛い境遇に執着するあまり、時間を止めてしまうことがある。
  それではいけないんだ。
  雅史の置かれてきた境遇は確かに辛かっただろう。
  しかし、その境遇をバネにして、先に進まなくてはいけないんだ。

主任はまるで自分で自分に言い聞かせるように、話した。
そして、更に酒の酔いが回った頃、温かい大切な家庭へと帰っていった。

酒の席ではあったが、主任の話は雅史の心をつかんだ。
自分を振り返り、他人の生活や性格を見ると、主任の言っていることは正しいと思った。
自分は今まで、嫌なことは全て母親のせいにしてきた。
今だって母親が悪いと思っている。

主任の話に心が動き、思い切って、久しぶりに母親に電話をしてみた。
電話に出た母親は、雅史の電話をとても喜んでくれた。
祖母は数年前に亡くなり、妹が遠くに嫁いだので、今は父親と2人で静かに暮らしていると言う。

不思議な感覚だった。
今まであれほど嫌だった母親が、愛しくてたまらないのだ。
声が聞けただけで、なにかしら地に足がついたように感じた。

雅史は、本当は自分は母親を求めていたのだということに気がついた。
自分は母親に優しくされたい、母親に包まれたいとずっと願っていたのだ。
それが叶わなかったから、反発していたのかもしれない。

主任が僕を許してくれたように、これからは母親を許せるように努力しようと思う。
そうすれば、止まっていた時間が動き出すかもしれない。



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