ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.12 「本当の愛を取材したら」


仕事で疲れ、今日は自炊をやめて外食にしようと、美菜はファミレスに入った。
女が一人でこういう場で食事をするのは少し気が引けるものだが、ガヤガヤした雰囲気の中で、ゆったりとコーヒーを飲むのは、独りで住んでいる寂しさを紛らわしてくれる。

この日も同じで、ドリンクコーナーから持ってきたコーヒーを少し横にずらして置き、ここで読むためにコンビニで買ったファッション雑誌を広げた。
すると、すぐ後ろに座っている4人の女子大生らしき人たちの話が聞こえてきた。

  ねえねえ、経済サークルのE君って知ってる?
  チョースタイルが良くってさあ、めっちゃイケメンだよねえ。
  タイプなんだよなあ。

  ちょっとお、あんたさあ、気が多すぎない?
  この前はK君のこと好きだって言ってたのに、もう鞍替えなのお?
  信じられなーい。

かなり大きな声で話しているので、いやでも耳に入ってくる。
話はどんどん進み、お互いの恋愛論に発展した。
恋愛と結婚はイコールかどうか、恋人にしたいタイプと、結婚相手に選びたいタイプの違い、自分が理想とする結婚生活など、まあ、よくもしゃべるしゃべる。
いささか呆れながらも、美菜はかつての自分もそうだったなあと、苦笑しながら聞くともなく聞いていた。

美菜は現在28歳。
女性雑誌社に勤めている。
28歳というのは、社会的に見ると微妙な年齢だ。
仕事に生きがいを感じて、男性も太刀打ちできないぐらいのキャリアウーマンになっていく人もいるが、ほとんどの女性は結婚相手を見つけに雑誌社に入ってきているらしく、飲みに行けば、同僚たちの話はいつも男性社員の話で持ちきりになる。
そんな同僚たちも念願かなって、最近は結婚で退職する人が増えてきた。

後ろでワイワイ話している学生たちの話を聞きながら、次の記事は、いつの時代も女性にとって興味の的である「愛」について書いてみようと考えた。

最初に取材したのは、自分の直属の上司である編集長の奥様だった。
もちろん、編集長には内緒で。

  「本当の愛を感じたことはありますか?」
  「平々凡々で波風のない時は、生活するだけで精一杯で、本当の愛なんて考えた
   こともなかったわねえ。
   主人は会社では良くしゃべるみたいだけど、家ではとにかく無口で、仕事だけ
   が生きがいの人。
   夫婦でありながら、お互いに何を考えているか、何が望みか、なーんにも話した
   ことがなかったから、ただ一緒に暮らしてただけって感じかしら。
   でも、ある時、一人息子が突然事故で死んじゃって。
   子供に先立たれた親ほど不幸なことはないわね。
   つらかったわ・・・
   でも人間っておかしなものね。
   今まで主人は単なる同居人だったのに、子供が亡くなってから繋がりが深くなった
   というか。
   あれだけ無口な人が無理して冗談を言って、塞ぎ込んでいる私の気が晴れるように
   してくれたり、旅行に行こうと誘ってくれたり。
   今まで私の誕生日なんて忘れられていたのに、ブローチを買ってきてくれた時は
   涙で前が見えなくなったぐらいだったもの。
   無粋な男の人が私のためにブローチを探しているところを想像しただけで、もう
   胸が熱くなっちゃって・・・
   それまでは形だけの夫婦だと思っていたけど、本当は愛があったのね。
   平凡な生活の中では愛は感じられなかったのに、息子という最愛の宝を失って初め
   て、別の宝に気がついたんですから。
   “灯台もと暗し”ってこのことね。

独身の美菜は、いつかは体験するであろう“夫婦愛”というものを考えさせられた。

次に「子供クラブ」を営んでいる人に取材してみた。
ここは学童保育のような感じだが、遊びを通じて子供社会に適応できるようにしているところだった。

  「“愛”をどんな風に考えていらっしゃいますか?」
  「目先のことに振り回されるんじゃなくて、長いスパンで考え、この子に何が必要
   か、何が不必要かを見極めてあげることでしょうか。
   この子が将来困らないようにするには、何を教えて、何を思いとどまらせるか、
   とか、いくらやりたがっても、この子にマイナスになると思えば止めたり、いくら
   嫌がっても、覚えておかないと困ると思えばしっかり教えるとか。
   これは子供だけではなくて、誰に対しても言えることじゃないかと思います。
   すべてに応用がきかなければ愛とはいえませんからね」

子供クラブの人の話を聞いてから、美菜の頭の中には「長いスパン」と「すべてに応用がきく」という言葉がやけに心に残った。

次に取材をしたのは、あるお寺の尼さんだった。
尼さんなら“愛”そのものについての悟りを開いているかもしれない、そんな思いからの取材だった。

  「あなたにとって“愛”とは何ですか?」
  「お恥ずかしいことなんですが、実は、私は恋愛に失敗して自殺未遂したんです。
   何かが間違っていたんです。
   何が間違っていたかを知りたくて“仏の慈愛”を学ぶためにこの道に入りました。
   残念ながら、まだその答えは出ていませんが。
   でも、“仏の慈愛”と“恋愛”が違うということだけは確かです」

  「恋愛は本当の愛ではないと悟ったということですか?」
  「ええ、恋愛は錯覚した愛です。
   クリスマスのイルミネーションと同じ。
   綺麗なのは暗い中で見る時だけで、太陽の下で見たら、電気の線とか裏方が丸見え
   でしょ。
   みんなそれを知っているのに、なぜかイルミネーションに惹かれる。
   恋愛は心の病気だって分かっているのに、惹かれるのと同じ。
   本物は太陽の下で見ないと分からないのよ。
   恋愛も同じで、自分の愛情が本物かどうかは、恋愛が覚めて初めて分かるもの。
   もちろん、相手の自分への愛情も、恋愛が覚めれば本物かどうか分かると思うわ。

   それと、恋愛はすごく身勝手な愛情。
   男を自分に振り向かせるために、あの手この手を使うじゃない。
   嘘も尽くし、演技もする。
   その人のためなら命も惜しまないと言うけど、それも、その男を自分のものにする手管。
   ひどい時は、親が泣くことも、友情を裏切ることもしてしまう。
   嫉妬が妄想へと変わったりもする。
   可愛さ余って憎さ百倍、ってとこね。
   憎しみも愛情の裏返しなんでしょうけど。

   私も一時期、相手を自分だけのものにしたくて、殺すことさえ考えました。
   その人が死ねば、他の女のところへは行けませんから。
   もちろん、思っただけですよ。
   結局、自分が死んで相手に乗りうつってやろうなんて考えて、馬鹿なことをしたんです。

   恋愛って、理性も何もかも吹っ飛んで、場合によっては常軌を逸脱した状態になって
   しまうんです。
   こんなの、本当の愛であるはずはないでしょ。
   キューピットは本当は天使じゃなくて、悪魔の手先なのかも。
   仏に仕える身なのに、キューピットなんていう発想はおかしいわね」

そう言って、尼さんは口に手を当てて笑った。
尼さんの話を聞きながら、美菜は女の業の深さを垣間見た思いがした。

次は、キリスト教のシスターから話を聞いた。

  「キリスト教では“愛”というものをどのように教えているのですか?」
  「これは聖書の中にはっきり書かれています。
   “友のために命を捨てること、それより大いなる愛はない”と。
   ご存知のように、ナチスのユダヤ人弾圧は酷いものでした。
   ある日、脱走者が出たせいで、まったく無関係の人10人が餓死刑になることに
   決まりました。
   ところが“私には妻も子供も居る! 死ぬのは嫌だ!”と、叫んだ人がいたそう
   です。
   その時コルベ神父様が、その人の代わりに餓死刑に服すると申し出られたんです。
   ところが、2週間たっても餓死しなかったため、注射を打たれて亡くなりました。
   コルベ神父様はイエス様の教えを実行されたすばらしい愛のお方です。
   私も、そういう純粋で無償の愛の持ち主になりたいと思っています。」

  「すごいお話ですね。 でも、それは犬死ではないのですか?」
  「そう仰る方もいますが、身代わりになっただけではなくて、アウシュビッツの中にいる時
   から、人々をを励まし、餓死室の中にいても、他の方を励ましておられたそうです。
   今でも、コルベ神父様の信仰は私たちを励ましてくださいます。
   その影響の大きさを考えたら、決して犬死ではありません。
   本物の愛というのは、神の愛です。
   神の愛を実行された方は忘れ去られることがないばかりか、他の人の生き方に大きな
   影響を与えるのです。」

美菜は、今まで聞いたことがない話に圧倒され、とても純粋でひたむきな信仰に心を打たれた。
しかし話に出てきたコルベ神父は特別な人で、クリスチャンだからといって彼と同じことを実行できるわけではないだろう。
美菜にとってこの話は“絵に描いた美しすぎる餅”のように感じた。

美菜はつい最近まで、ファミレスで会った女子大生と同じく「愛=恋愛」と考えていたが、取材を進めていくうちに、愛にはいろいろな形があることに気がついた。
「親子の愛」もあれば、「友情」という愛、他には「兄弟愛」、「夫婦愛」、「神や仏への愛」もある。
この中に共通している愛、それが本当の愛に違いない、そう考えながら最後に取材をしたのは、高校の時にいろいろ教えてくれた教師だった。
学校内では女金八と言われている熱血先生で、生徒のこととなったらなり振りかまわず走り回る人だった。
美菜はこの先生が大好きだったし、彼女の話をいつも吸い込まれるようにして聞いていたのを思い出したのだ。

久しぶりに母校を訪ねたら、懐かしさで心がいっぱいになった。
先生は以前と同じく、今でも女金八で通っていた。

  「美菜さん、あなたのことは良く覚えているわ。
   いつも私の話を真剣に聞いてくれてたもの。
   本当の愛とは・・・難しい質問ね。

   私は今でこそ女金八と呼ばれているけど、中学の頃は悪いことばかりしてたのよ。
   グループに悪いのがいて、その影響をもろに受けていたの。
   シンナーは吸うし、万引きはするしで、今思い出しても穴があったら入りたい
   ぐらい。

   ある時、シンナーをやっているところを通報されて、両親が家にいなかったことも
   あって、代わりに担任が駆けつけてくれたの。
   往復ビンタを覚悟してたけど、担任は警察では何も言わずにひたすら謝ってくれた。
   帰り道を一緒に歩きながら、どうしてこんなことをしたんだ、と聞かれて、友達に
   誘われて断れなかった、と答えたら、私にこう言ったの。

     いくら誘われたからといっても、やったのは自分だろ。
     人のせいにしてはいけないな。
     自分でいけないと思ったなら、自分で断らなければいけないんだ。
     人は誰でも2つの心を持っている。
     一つは善意、一つは悪意。
     その二つの心を理性でコントロールできないということは、自分に負けると
     いうことなんだ。
     自分に負けたのは、誰のせいでもなく、自分のせいなんだぞ。
     それを人のせいにしてはいけないな

   その話はなんだか心にズシッときたけど、自分がこれからどうしたら良いか分から
   なくなって聞いたら、

     もし、自分のやったことの罪滅ぼしがしたいと思うなら、誰かの力になってやれ。
     自分のことより、他人のことを大切にしろ。
     自分が悪いことをしたと気が付いたら、10の良いことをしろ。
     間違っても、他の誰かを悪い道に誘い込むことだけはするな。
     悪の連鎖は自分で断ち切れ。
     悪さは今夜限りで終わりだ、いいな。

   それ以来、悪いグループとは縁を切ったの。
   もちろんグループの制裁は受けたけど、逆にそれでよかったと思った。
   それ以上の悪い深みにハマっては行きたくなかったからね。

   悪い心も善い心も連鎖するのよ。
   私は善い連鎖が本当の愛だと思う。
   小さい失敗はどっちでも良いの。
   見返りを期待せずに、その人の魂にとってプラスになることをしてあげること。
   これが大切ね。
   こうした善の思いが担任から私に連鎖して、私から生徒たちに連鎖していく。
   好きとか嫌いとか、そういうちっぽけな感情で判断するんじゃなくて、理性を
   しっかり使って善の連鎖を断ち切らないこと、これが本当の愛じゃないかと思う。
   自分と関わった人が、次に善い連鎖を繋げてくれて行ったら、世界はどんどん変わる
   と思うんだ。
   そして、この連鎖を自覚すると、怖いものがなくなるし、取り越し苦労だって
   なくなっちゃうんだから。
   世の中には目に見えない力が働いていて、その力が自分を守ってくれているのよ。」

  「その目に見えない力って・・・」

そう聞いたら、先生は優しくささやいた。

  「それはね、神様の愛なのよ。
   善意が連鎖するのは、神様が働いてくれている証拠なの。
   それに、神様が自分を通して働いてくれたことって、死んでから自分の功績にして
   もらえるの」

それを聞いて、シスターの言っていた「神の愛を実行された方は忘れ去られることがないばかりか、他の人の生き方に大きな影響を与えるのです」という言葉と繋がった。
シスターが言ったことは、決して絵に描いた餅ではなかったと、今更ながらに思った。
考えてみれば、マザーテレサの連鎖はすごいものではないか。
彼女一人の姿勢が、全世界に波及しているのだから。

今回取材したことは美菜にとって、かつてないほど大きな収穫になった。
そして、善意の連鎖を自分で止めてはいけないと感じた。

さて、この「愛」についてをどうやってまとめて記事にしたものか・・・
この記事が成功すれば、善の連鎖が繋がるかも。
とにかくしっかり仕上げて載せなくては。

熱い思いを感じながら、美菜は社に向かった。



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