4. 「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」の問題点について


前回の続きです。



今回はまず、「悟り」という言葉の意味から御説明をしたいと思います。

この「悟り」という言葉も、「魂」、「霊」、「時間」と同じく、複数の意味を1つの言葉で使用している「紛らわしい言葉」であり、「悟り」の意味には、具体的には以下の「3つ」があります。



1. 「霊的覚醒」(霊レベルはそのまま) → 「生まれる前の記憶」や、「自分は何の為に生まれて来たのか?」といった、地上人生の目的を思い出した状態の事で、私達が地上への誕生の際に一時的に忘れてしまった「魂の記憶」を思い出す事。(ちなみにこの地上人生の目的とは、「利他行為による魂の成長」の事。) 「霊的浄化」、「スピリチュアライズ」とも言う。(なお、これは決して「霊レベルが1つ上がる」という意味では無いが、「霊レベルのアップ」と同時に「霊的覚醒」が起こる、という事はある。)

2. 「霊レベルの上昇」(霊レベルが1つ上がる事) → 「霊視レベル」や「霊聴レベル」、「ヒーリングレベル」や「不食能力レベル」などのいろいろな「各霊レベル」や、「全体霊レベル」が1つだけ上がる事。 「霊レベルアップ」、「エンライトメント」とも言う。 「各霊レベル」の上昇は「霊力の上昇」、「全体霊レベル」の上昇は「霊格の上昇」とも言う。

3. 「究極の悟り」(霊レベル∞) → 「究極の理想の悟り」の事で、宇宙の全ての知識、智恵を悟り、全てと一体化した状態の事。 なお、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」や、「仏教」、「ヒンドゥー教」などでは、概ねこの意味で使用している。 「涅槃」、「ニルバーナ」とも言う。(ただし、「涅槃」、「ニルバーナ」は高レベルでの2の意味で使用する場合もある。)



さて、私達には「霊的経験値」というものがあり、「物質周波数」の低い「物質界」で生活をしている時に「究極の悟り」に至る事は絶対に不可能であり、「自由意志」で何でも出来るようになるだけでも、地球の時間に換算して最低でも「数億年」はかかるという話は、以前お話しした通りです。(とはいっても、「悟り」には終わりが無いとも言われていますので、その状態でもあくまで霊レベル100に達したという程度の話であって、決して霊レベル∞の状態に到達した訳ではありません。)

仮に、霊レベル100の「進化霊」の知能や智恵のレベルを現在の我々の「人間」のレベルだと仮定すると、現在の我々「人間」の知能、智恵レベルは、「アリ」の脳にも満たないようなものであり、「アリ」の脳のレベルの魂が「人間」の脳のレベルの魂まで進化するには、何度もいろいろな生物に転生し、途方も無い年月をかけなければならない事は、わざわざ御説明しなくとも解る事と思います。

つまり、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」や、「仏教」、「ヒンドゥー教」などでは、



「アリ」でも、「意識の変革次第」で人間の知識、知能を得る事が出来る



と、訓えている訳であり、そんな事が「物理的」にも「霊的」にも不可能な事は、わざわざ御説明するまでも無い事でしょう。(これは、あまりにも「人間」を過大評価し過ぎていて、「大霊」を過小評価し過ぎています。)



しかし、これらの思想は「意識次第で全ての病気は治る」、「意識次第で人は食べなくても生きられる」といった思想とは違い、「理屈」は間違っているが、「アプローチ」的にはそんなに間違ってはいない面もあり、つまり部分的には「霊的真理」でもあるので、そこがこれらの思想が長く信じられている理由でもあるのです。

例えば、「ホ・オポノポノ」では、潜在意識を「クリーニング」する事で「神聖なる知能」からのインスピレーションを得られると訓えますが、一度オーラに記録されたデータは絶対に消えない為、潜在意識を「クリーニング」する事は現実的には不可能なのですが(つまり「理屈」は間違っているのですが)、いろいろな問題を「クリーニング」するという姿勢が結果的に「雑念」を払う事にもなる為、霊界からのインスピレーションが受けやすくなるという事は確かにあるのです。(ただし、そのインスピレーションも、あくまでも「守護霊」や「指導霊」からのものであり、決していきなり「神聖なる知能と一体化」するからではありませんし、人間には皆それぞれ自分のカルマがあり、誰にも肩代わりは出来ないものですので、この世の全ての問題はもちろんあなたの責任でもありませんし、「言葉」自体に奇跡の力がある訳でもありません。)

これを解りやすく説明すると、夜なかなか寝つかない子供に対し、



「早く寝ないと、お化けが出るよ〜!」



と躾けるのと同じ様なもので、「お化け」は「嘘」でも、子供は「お化け」を怖がった結果早く寝る事になり、結果的に「良い子」になる。

つまり、「究極の悟り」は間違いでも、それに至るつもりで「意識の変革」をする事により、結果的に成長出来る部分もある。



という事です。



でも、このやり方で効果があったとしても、どうでしょう?

あくまで一部分が「霊的真理」で「部分的にしか成長出来ない方法」と、100%「霊的真理」で「100%成長出来る方法」、どちらが良いでしょうか?

言うまでも無く、100%「霊的真理」で「100%成長出来る方法」の方が良いに決まっていますし、何よりこちらの方が本当の意味で「幸せ」になる事が出来るのです。

これら、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」、「仏教」、「ヒンドゥー教」のような思想は、昔まだ人類が「霊的真理」を詳しく知らなかった時代には十分価値のあった思想ですが、「霊的真理」が簡単に学べるようになった現代では、もう時代遅れでしょう。



次回は、本当の「アセンション」とは何なのかについて、書いていきたいと思います。



【追伸】

■私は、全ての地上の宗教は「赤ちゃんのおしゃぶり」のようなものだと思っています。

赤ちゃんから「おしゃぶり」(宗教)を取り上げる事は、大人げない行為なので絶対にやってはいけませんが、小学生(「霊的真理」を受け入れる準備の出来た「聞く耳を持つ」人)には、小学校に「おしゃぶり」をして登校しないよう、それ(宗教)が「おしゃぶり」である事をきちんと説明するべきでしょう。



■私は「ホ・オポノポノ」で起こった奇跡とは、たまたまそれを行なった人の霊能力が高くて起こった事なのに、本人も周りの人々もそれに全く気付かず、それが「ホ・オポノポノ」のおかげなのだと思い込んでいる、というのが、真相なのだと思います。

このように、「霊的真理」に対する正しい知識が無いと、いろいろな誤解が起こってしまうのです。



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