2. 「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」の問題点について


「ハラランボス・ランバート」の「ダスカロス」の思い出

ダスカロスに会う以前の私(ランバート氏)は、ニューエイジ思想に憧れ、本をたくさん読んでいました。

ニューエイジの考えは「私たちはみんな光の子」「一人ひとりに使命があり、使命を果たすことで地球が救われる」「1、2年で悟ってヒーラーになり、地球を救うことができる」というものですが、ダスカロスとの出会いは、そんな幼い考えを脱却していく大きなステップとなりました。

ダスカロス著 「エソテリック・ティーチング」 P1より



そもそも私が「ニューエイジ思想」について勉強をしようと思ったきっかけは、「心の道場」さんのニューズレターで、「神との対話」は典型的な低俗チャネリングだとして、徹底的な批判をしている文章を読んだからです。

それで、人の言っている事をそのまま鵜呑みにするのも良くないと思い、「神との対話」を始めとする「ニューエイジ思想」関連の書籍や他の思想の書籍をいろいろと読んだ訳ですが、この行為を「私が霊的真理に迷っている行為」と受け取ってしまった方もいらっしゃったかもしれませんが、そうではなく、これらの本が「霊的真理」上どれだけ正しく、どれだけ間違っているかを知りたかっただけなのです。(つまり間違い探しです。)

結論として、「神との対話」につきましては、「神」(著者はこの場合の「神」を、「大霊」、「創造主」の意味で使用しており、目に見えない霊的存在としての「カミ」の意味では使用していない)が直接語りかけているというのは明らかに間違いではあるものの、「心の道場」さんが言う程、酷い内容では無いというのが、私の見解です。

しかし、「ニューエイジ思想」や「ワンネス思想」の本、その他、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」等のインド人による思想、哲学の本や、ハワイ少数民族に伝承される問題解決法「ホ・オポノポノ」等の本を読み進めていく内に、私はこれらにある「共通の問題点」がある事を発見しましたので、今回からしばらく、その「問題点」について書いていこうと思います。(逆に言えば、この問題点さえ克服すれば、これらの思想は今より遥かに素晴らしい物になるとも言えます。)



という事で、取り合えず今回は、「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」を中心に、話を進めていきたいと思います。



現在の日本では、「スピリチュアリズム」、「霊的真理」の書籍よりも、「神との対話」、「バシャール」、「アミ小さな宇宙人」といった「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」の本が良く売れています。(と言っても、これらの本が「ニューエイジ思想」に影響された書籍であるという事実すら知らずに読まれている方も、多いとは思いますが…)

ちなみに「バシャール」は、正確には宇宙人のチャネリングという方法を使用した「自己啓発セミナー」(マインドコントロール)であり、それは「バシャール」の使用している「インターンシップ」、「エンパワーメント」などの用語が、自己啓発用語「そのもの」である事からも明らかです。(とは言っても、私は別に自己啓発自体を批判している訳では無く、自分が信じている物が何なのかをハッキリと知った上で、信じて頂きたいと思っているだけです。)

「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」の代表的な考え方をいくつか御説明しますと、



「ニューエイジ思想」

自分が変われば、世の中全ても変わる

2012年を人類の滅亡、あるいは一大転換期だとする「アセンション」(地球の次元上昇)の思想を支持する(これにつきましては、後日改めて日記を書きたいと思います。)

「ワンネス思想」

「Oneness」とは文字通り「1つ」の事 一は全 全は一



結論として、



全ては1つ、つまり人間はミニチュアの神でもあるので、不完全ではなく完璧である、したがって、願った事は全て叶う、意識の変革次第で何でも出来る



そもそも、「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」は、実は「スピリチュアリズム」、「霊的真理」の考え方を元に作成されている為、基本的な部分は何も間違ってはいません。

基本的な部分は確かに何も間違ってはいないのですが、その思想が「霊的真理」と比較した場合、あまりにも単純過ぎ、その単純過ぎる部分が、正にこの思想の「問題点」なのです。

「スピリチュアリズム」、「霊的真理」の「概念」の中にはあって、「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」に決定的に足りない「概念」、それは、



「霊的経験値」の「概念」と

それによる「自由意志の行使範囲」の「概念」



です。



人間は確かにミニチュアの神であり、それは「霊的真理」でも言われている事実です。

「自分の意識が変われば世界も変わる、願った事は全て叶う、意識の変革次第で何でも出来る」

確かにこれも事実です。

しかし、これが事実なのは、あくまでも「究極の実在界」、「神界」の更に上の世界である「超越界」での話です。

「霊的真理」には、



「自由意志の行使範囲」は、その人の霊的成長度に比例する



という大原則があるのです。

私達が本当の意味で「真理」を悟り、意識次第で何でも出来るようになるには、毎日利他行為を行ない、人より早く霊的に進化したとしても、地球の時間に換算して、最低でも「数億年」はかかる計算になるのです。

自由意志の行使範囲を解り易く書きますと、



霊レベル1 → 自由意志行使範囲1%

霊レベル10 → 自由意志行使範囲10%

霊レベル20 → 自由意志行使範囲20%



という感じとなり、「霊的真理」では、地上の全ての人間は「霊的な幼稚園児」に過ぎないという事実を教えている以上、我々の霊レベルは10にも満たないような物なので、今の霊レベルでは、意志の力で何でも出来るなどという事は、絶対に有り得ないのです。(この「霊的経験値」の「概念」を全く無視しているという点では、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」等の思想についても、全く同じ事が言えます。)

なお、「霊的経験値」の「概念」自体は、「アミ小さな宇宙人」に出て来た「愛の度数」と全く同じ物ですが、この作品内でも、残念ながらそれが利他行為を行なう事で得られる「経験値」である事と、その結果が「自由意志の行使範囲」と関係がある事は説明されていませんでした。(アミの著者である「エンリケ・バリオス」はニューエイジャーですので、詳しく知らなかったのでしょう。)

ただ、「アミ小さな宇宙人」に書かれている「現在の地球の問題点」の説明自体はとても解りやすい物なので、私は子供や初心者には、「霊的真理」を勉強する前段階として、この本もおすすめしています。

ちなみに、私が私のサイト「霊的故郷」で書いているように、「霊的経験値」を上げる法則は、唯一以下の法則しか存在しません。



霊的に利他的な動機でその思考、行動をした場合、幸福になる → 霊的経験値が上がる

霊的に利己的な動機でその思考、行動をした場合、不幸になる → ペナルティ(悪いカルマ)が与えられる



一般的に、スピリチュアルな事に全く関心の無い方々は、祈りの力を殆ど信じていないのに対し、ニューエイジャー等、スピリチュアルな事に関心のある方々は、逆に



「祈りの力を過大評価し過ぎている」



という傾向にあります。

祈りの力がどれだけ有効なのかも、その人の霊レベルによる自由意志の行使範囲に左右される為、0%という事も有り得なければ、100%という事も有り得ないのです。



「霊的経験値」の「概念」は、「ドラゴンクエスト」などのロールプレイングゲームをプレイされた方には理解しやすいと思いますが、全く経験値を上げていないレベル1の勇者が、「ギガデイン」(攻撃魔法の1つ)を唱える事は、絶対に不可能なのです。

これを別の言い方で説明しますと、ここに1人の幼稚園児がいて、その子が将来医者になりたいと思っている場合、



この幼稚園児は将来、医者になれる可能性がある → 霊的真理

この幼稚園児が心から望めば、明日にでも医者になれる → ニューエイジ思想



と言った感じとなり、「ニューエイジ思想」がいかに「霊的経験値」の「概念」を無視しているかが理解出来るでしょう。



それでは次回は、「霊的経験値」の「概念」を無視すると、具体的にどのような問題が発生するのかを、「クリスチャン・サイエンス」で実際に起こっている事件を例に、御説明をしたいと思います。



【追伸】

■相手への「間違いを指摘する行為」は、文章の表現次第で「ただの悪口」とも取られてしまう為、私はかなり神経を使って書くようにしていますが、誤解を最小限にする為にも、私はとにかく出来る限りソフトな言い方を心掛けるよう努力しています。

しかし一方で、動物虐待や死刑制度など、ソフトに書くべきではない事柄もあるとは思いますので、その辺の表現のバランスには、いつも苦労をしている所です。



■人の「悪口」を言わない事は、もちろん大切です。

ですが、かといって「間違い」を全く指摘しない姿勢も決して「利他的」とは言えませんので、いかにそれを誤解を与えずに説明出来るかが、重要なのだと思います。

私は「間違い」とは、道端でハンカチを落としてしまう行為のような物だと思っていて、前を歩いている人がハンカチを落とした場合、

「落としましたよ!」

と声をかける事は、決してその人への「悪口」では無いですから、「間違いを指摘する行為」も同じはずだと思っています。

ただし、その指摘を相手が自分の間違いだと認めるかどうかはまた別の問題で、相手が間違いだと認めていないのにこちらが言い張るのは、「思想の強要」にもなってしまう為、注意が必要です。

相手が、「それは自分の落としたハンカチではない」と言っているのであれば、それ以上指摘をしてはいけないという事です。



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