ぼくのスピリチュアル物語 最終回 「母の声」


本年(2011年)6月2日から不定期に連載して来た<ぼくのスピリチュアル物語>であるが、この回をもって終了しようと思う。
10月10日に<44-地上の星>を書いてから、この一ヶ月更新しなかったのは、
ぼく自身の身辺が極めて忙しくなってきたからに他ならない。降って湧いたような所属会社の移籍問題、そして、実家の兄から入院中の母がいよいよ危ないという知らせ。

シルバーバーチの霊訓や黒住さんの霊界通信で「霊的真理」を少しづつ学んできてはいたものの、現実の中で母親の死を「喜ばしいこと」とはなかなか思えない自分がいた。
頭と体と心と、3つすべてが同じ死生観で一致しない矛盾を感じながらも、母の最期に立ちあうことになった。

母は10月21日午前10時34分、この世の生命を終えた。最期まで心臓は力強く動いていたが、酸素マスクをしていても自力で酸素を体内に送り込めなくなり、呼吸が徐々に細くなっていった。体内に酸素が少なくなってくると手足が徐々に冷たくなっていき、頭の先から薄紫に染まっていった。
やがて、母はろうそくの炎が消えるように旅立っていった。

いま、母は不自由な身体から抜け出して自分の遺体を見下ろしているのだろうかと上の方を見上げてみたが、ぼくの目に母の姿が見えはしなかった。

そして、その瞬間から、悲しむ間もなく、通夜告別式の準備が慌ただしく始まった。母の遺体は葬祭場に移され、親戚や近所の人々が次々に現れ、母の亡骸に合掌しては悔やみの言葉を残して去っていった。

ぼくたちが動かぬ母と静かに対話できたのは深夜1時を過ぎていた。交代で線香を絶やさないようにと言った兄は、連日の看病や葬儀の準備に疲れ果て眠り込んでいた。
ぼくは一人、静まりかえった葬祭場の祭壇の前に座り、母の遺影を見つめながら生前の母を思い出し、涙を溢れさせていた。

「難しいことは私にはわからん」
「え?」

突然、そんな母の声が聞こえた。いや、声ではない。音声として聞こえたわけではない。声のように感じたという方が正しいかもしれない。とにかく、その言葉がぼくの頭の中にスッと浮かんだのである。それは生前、母の口から何度も聞いたことのある言葉だった。
若いとき、帰省するたびにどんな仕事をしているのか母に説明するのだが、演出家という職業がどんな仕事なのかわからなかったのだろう、そういう風によく言っていた。

しかし、この言葉が頭に浮かんだとき、瞬間に「難しく考えるな」という意味だと思ったのである。心の中でからまった糸がふっと解けたような気がした。そして「なぜぼくはこれまで、やりたい仕事を選ぶことを悩んでいたのだろう」と不思議に思った。

亡くなったばかりの母に背中を押され、ぼくは一歩前に進むことを心に決めたのである。難しいことは考えず、直感を信じて…

『ぼくのスピリチュアル物語』はこれで終わるが、現実の中での「実践」というカタチで続けていこうと思う。

<完>



これまで拙い文章を読んでくださった方々、「いいね」をクリックしてくださった方々、そして、「コメント」を書き込んでくださった方々、本当にありがとうございました。

海辺のぽち U^.^U



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