ぼくのスピリチュアル物語 17 「引越し」


『不思議な偶然』と言えるかどうかわからないが、ぼくの中では「あれはそうにちがいない」と思えることがいくつかある。そのひとつは、20年前の引越しである。

ぼくたち一家はずっと借家暮らしで、当時は東京の世田谷に住んでいたのだが、静さんと出会った直後に大家さんの都合で引越しをしなければならなくなった。

仕事の合間を見つけては、歩き始めたばかりの長男を連れて不動産屋を巡った。適当な物件があったかなと思うと、その家に入るなり長男が泣き出すのである。泣かない家もあったのだが、家賃や交通の便とか条件があわず、なかなか決まらなかった。

その頃、ぼくは夢を見た。

海の近くにある古い木造の家で、庭にパラソルを立ててぼくが読書をしてる、そんな夢だった。妙にリアルでずっと頭から離れなかった。しかし、東京を職場として、仕事柄、終電ギリギリなんてしょっちゅうのぼくには海沿いはあまりに遠く、まったく現実的ではなかった。

現実的な住まいを都内でいろいろ探すのだが全然みつからず、いいのがあっても子供が泣くし、大家さんから言われてる期日は迫ってくるしで、あるとき思い切って神奈川県の方に探しに行こうということになった。

そう言い出したのはぼくだったと思う。きっと夢のせいだろう。

神奈川県といっても、行き先に当てがあるわけではなかった。なんとなく茅ケ崎に向うことにした。なぜ茅ケ崎だったかというと、実はルポライターの平野さんが茅ケ崎にお住まいで、手紙のやりとりで平野さんの住所を何度か書いたことで、ぼくにとって神奈川県で唯一身近な町になっていたのかもしれない。

で、ぼくたちは東横線で横浜まで行き、東海道線に乗り継いで茅ヶ崎に向った。横浜から30分かかるなんてやはり遠すぎ〜と思いながら、ほとんど無駄足になることを覚悟で電車に揺られたことを覚えている。

茅ケ崎に降り立つもぼくたちは、こんなに遠くの見知らぬ町に住むのかと少し気が重くなっていた。不動産屋で紹介してもらった家のカギを預かり、ぼくたちだけで見にいくことになった。蛇が出そうな小道をドキドキしながら歩いた。都会に住むシティ派のぼく(うそ)が、がっかりするほどの田舎だった。

築18年の木造モルタルの戸建てということだった。どうせ、お化け屋敷みたいな古い家なんだろうなと思いながら、地図で辿ってその家の前に立った。

「ここ?」

たしかに築18年でそれなりだったが、なぜかぼくの目には家全体が白く光って見えた。そして、小さな庭があった。夢で見たのと似てるかどうかわからないが、パラソルを立てて読書するにはいい感じの庭だった。

長男はというと、家に入るなり泣くどころかキャッキャッ笑いながら階段をどんどん一人で這い上がっていく。危ないので追っていった妻が二階からぼくを大きな声で呼んだ。行くと、二階の窓から大きな富士山が見えた。少しだけ家賃が高かったので、その日は即決しなかったが、このとき既にぼくも妻も気持ちは同じだったのだと思う。

ものごとが決まる時はこんなものかもしれない。日常のこんな小さな探し物にも霊界からの導きがあったのかどうかわからないが、ぼくの中ではたどり着くべきところにたどり着いた安堵感のようなものがあった。

日常の中の「不思議な偶然」は、その渦中にいるときはそれに気づかない。しばらく経って振り返ってみると、その連鎖の先に現在の自分がいることを実感するものなのだろう。

海沿いの町に越して数年経った1995年3月、静さんから『生命の泉』という一冊の本が送られてきた。それは、ご主人からの霊界通信をまとめた手書き冊子を静さんが解説付きでわかりやすく進化させた活字本だった。

(『生命の泉』まえがきより)
「夫亡きあと、10年を過ぎました今、改めて通信に託した熱き願いに思いを寄せておりますと、私を動かす内からの力を感じないではおれません。
さて通信は、受信者Yさんから聞いたままを日付順に記させていただきました。何分にもあの世からこの世にへ送信されて来たメッセージという特殊性もあって、わかりにくい所も多々あるかと思いますが、尋ねることも確かめることも出来ません。それ故全くの一方通行なのですが、読後の私の感想や、送られて来たときの背景などを何かの参考になればと思い、註に記させていただきました。
私が出会った珍しい体験が、生命の死後存続の一つの証になりますように心から願っております」

庭のパラソルの下でページを繰りながら、ぼくは夢の中で見た光景のデジャブを覚えた。

(つづく)



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